16才から広がる中心核と丹田から広がる枠を統合一し、16歳丹田から広がる中心核枠とするなる。美しい統一と大いさとをもった荒削りの後、更に各部分に最後の彫琢と点睛とを与える。終端のところで初めて二つの道は再び互いに接近し、完全性のみが二つの道を合一しうる。芸術家は人間性の指標や象徴となりうるすべてのものをひたむきな愛をもって一途に追求する。彼は言葉の財宝を掘り返し、音調の混沌を世界に作り上げる。彼は自然の美わしい万華鏡のうちに神秘な意味と諧調とを求める。眼の前に現れるすべての作品のうちにあらゆる部分の印象、統括と法則との全体の印象を探求し、またしばしば容器に盛られた貴重な中味よりも精巧な容器の方を嬉しがる。新しい思想は新しい作品となる。密かに心情に滋養を摂り入れ、静かな隠遁のうちに育まれて生長する。精励し計画と実行とが交代に行われる。芸術家の制作的な本性は完全性という目的に向かって近付いていく。進んで自由な自然に身を任せる。自然がその美わしい意味深い指標を私に示すとき、それらすべての指標は私のうちに感情と思想を喚起する。思想は権力を確立し、またたとい世界が彼に行為を要求しても、思想はすべてのものを容易に支配するようになる。行為と言説とを世界へ出し放しにする。容易に世界と和解せんがために、内的に思惟し直観し、何か愛するものの現存を必要とする。嘗てそうであったし今もそうである。すべてのものが一つの真なる全きものを形成するために互いに手を握り合っている。人間は全き人間性を直観し、その人間性のあらゆる他の表現を自分自身および自分の表現と比較しつつ対置することを始終自分自身に求めていさえすれば、自分の自己性を維持してゆくことができる。愛は精神の世界の引力である。お前は最先にして最後のものである。一が他を補いつつ、両者は不可分に伸長していく。私は倫理のこの二大条件が私のうちに合一せられているのを見る。私は感受性と愛とを自分のものにした。そしてこの両者は、生命が新鮮であり健全であること、また独自の教養が更に一層堅固なものになっていくことの確実な証拠としてなおますます発展を続ける。私が理解したものは私自身のものであって私の刻印が捺されている。私の内で完成させられ本質となっていく。彼の感受性が今やどれ程の範囲を包括しているか、彼がどれほど独自の形成を進めているか、彼がどれ程の仕事を完成したか実行したか、彼の独自の存在、またそれと人間の全体性との関係、これが求めているものである。再び無限に身を委ね世界を出てかの懐に帰る。
