16歳のように16歳以上に非常に優れた枠である。
中心核に溶け込むんだ、中心に位置するんだ。また悪い醜い周期に入ってしまった？良い美しい周期に入る？常に何時如何なる時もどんな時も繋がって意識ぶっ飛んでいたい、意識が切り離されると特殊個別具体具象具現実化された枠は駄目？子供のように夢見る眼だ。顕示の最高の頂点は人間、原像的なかつ神的な人間である。初めは神のもとにあったところの、そして一切の他の事物や人間自身もそのうちにおいて創造されたところの人間である。光の誕生は自然の国であるが、精神の誕生は歴史の国である。前者のうちに存すると等しい創造の諸期が後者のうちにも存する。そして一切は他の比喩であり説明である。第一の創造において根底であった同じ原理が、ここでもまた再び、ただより高い形態において、より高い世界の展開し出る萌芽となり種子となっている。元初的根底の未分なる力が、人間において初めて個別者の内面（基底或いは中心）として認識されるに到るがごとく、歴史においても、悪は初めはなお根底に隠れたままであり、垢と罪の時代に先立って無垢の時代、すなわち罪に対する無意識の時代がある。自然の場合には、元初的な自然根底は久しい以前に独りで働いていて、自らのうちに含まれた神的なる諸力を以て自分だけで一つの創造を企て、しかもこの創造はその度ごとに（愛の紐帯が欠けていたから）結局もとの混沌のうちへ没していたが、やがて愛の言葉が発せられ、これと共に永続的な創造がその端を開いたのであった。根底といえども全き神的本質を含んでいて、根底のかかる独自活動のうちに支配したものも、すべて諸々の個別的な神的存在者である。故にこの太古の黄金時代は、善も悪もなき恵まれたる未決定の時代、その次に続いてきたのは、支配する神々及び英雄の時代、すなわち根底が自分だけで何をなし得るかを示した自然全能の時代である。その当時には悟性と智慧とは根底からのみ人間に上ってきた。地より湧き出ずる神託の威力が、彼らの生活を指導しまた形成した。根底のあらゆる神的なる力が地の上を支配し、そして威力ある王侯として安泰なる玉座の上に座した。眼に見得る神々の美のうちに、また芸術や聡慧な学問のあらゆる光輝のうちに、自然に最高の荘厳が与えられる時代が現出し、遂には根底に働きつつある原理が世界征服の原理として現れてきたって、すべてを自らに従属せしめ、一つの確固たる永続的な世界帝国を建設するに至った。しかし根底の本質は、自分一人では決して真の完全なる統一を生産しえないものであるから、この荘厳がすべて解体する時がやってくる。そしてこれまでの世界の美わしい体躯が、恐るべき疾病によるかのように潰えて、遂に混沌が再び入りくる。既に以前から、そして全き潰滅のまだ現れない前から、かの全体のうちに支配せる諸力が、悪しき精神の性を帯びてくる。あたかも健康時には生命の守護神として益をなしたその同じ諸力が、解体の近づいてくるに際しては、邪悪にして毒を含む性となるがごとくである。偽りの魔術が巫呪や妖術的方式を伴いつつ、去り行く神々を呼び戻し悪霊を鎮めんと努める。来たりつつある光を予感して、充分なる抵抗を以てこれに当らんがために、既に予め諸々の力を悉く未決定から引き出しておこうとする根底の牽引は、次第次第にはっきり現れてくる。暴風雨が間接には太陽によって直接には地球の反作用する力によって激発されるように、悪の精神も善の接近によって激発される。諸力の分割によって。善の決定的出現と共に悪もまた初めて全く決定的にかつ悪として出現する。地が再度荒撫して空虚になったその瞬間が、精神のより高き光の誕生の瞬間となる。その光は初めから世界の内に存してはいたが、それまではまだ閉されかつ限られた顕示の状態にあったのであるが、それが今や現れるのである。しかもそれが現れるのは、人格的で精神的なる悪に対抗せんがために、やはり人格的な形態においてであり、創造界と神との関係を最高の段階において再建すべき仲介者としてである。人格的なるもののみが人格的なるものを癒し、そして人間が再び神に帰らんがためには神が人間とならなければならないからである。神に対する根底の関係が再建されると共に、初めて治癒（救済）の可能性もまた与えられる。その初めは透視の状態であり、この状態は、神的なる天命を通して個々の人間（このために選ばれたる機関としての）へ降るものである。それは一つの徴と奇蹟との時代であって、そこでは神的な諸力が、あまねく出現する魔神的な諸力に対抗し、鎮和せしめる統一が、諸力の分割に対抗して働く。やがて遂に分裂が起こって民族移動に入り、嘗て元初の大水が、第二の創造を可能ならしむるために太古の創造界を再び覆うたがごとく、この諸民族の混乱は旧き世界の地を氾濫する。ここに諸々の民族や言語の新たな分裂、一つの新たな王国が始まり、そこでは生ける言葉が堅固にして不変なる中心として渾沌に対する戦いに入り、また善と悪との間に戦いが宣せられて、今の時代の終りに至るまで続く争闘が始まり、そしてまさしくこの争闘のうちに、神が精神として、すなわち現勢的に真に現実的なるものとして自己を顕示するのである。『経験によって発見された基底の概念』すなわち化学における「根基」を指すのであろう。すべての化学的過程の起こる場所としてのこのものに、より高い勢威である有機的過程において相応するものは、その上において有機体のすべての発展が生ずるところのもの即ち我性である。全体においては、すべての過程において基底となるものは我性である。根底に働いている力は、原理間の統一を恒に等しい関係のうちに保っている。善においては統一がある代りに悪には不統一がある。時間空間の制約を離れて精神の眼を以て物を視る。神の意志は一切のものを普遍化し光との統一にまで揚げ維持することにある。根底の意志はしかし、あらゆるものを特殊化し、または被造物的となすことにある。その意志は必然的に超被造物的なるものとしての自由に対して反作用し、その自由のうちに被造物的なるものへの嗜欲を呼び醒ます。高くそそり立つ頂の上で目が眩んだ者に、いわば或る密やかな声が顛落せよと呼ぶように思われるごとく、或いは、古い物語によれば堪えられないサイレンの歌が、通り過ぎる舟人を渦巻に引き込もうと深い底から響いてくるというがごとくである。普遍的意志と人間のうちの特殊的意志との結合は、既にそれ自体において一つの矛盾であり、その矛盾を合一することは困難であるように思われる。
