16歳を思い掘り出し起し返せ！！16歳も16歳の力も能力も取り込む得る。
彼も何時か理想の女性が突当然現れてくれると待ち望んでいる逆白馬の王子様状態である。まだ何処ぞの夜を彷徨っているのか・・あの16歳で竜のよう獅子のように咆え吼えていた頃も今だ。阪神大震災から12年、２月でカルシウムお菓子ビタミンサラダカルシウムを食べ過ぎ頭蓋骨をグッグッグッグッと締め付け主要大部分体外に出し出た日から１２年か・・女性が現れるか。格闘家としても超人的に強い。骨髄移植ドナーに選ばれた、骨髄を体外に出し白血病の人を救い助けたい、献血するのも同じ理由だ。意識は常に現実以上、この心は常に宇宙へ飛んでいる。キリスト教系、ヨーロッパ哲学系、仏教系、ウパニシャッドやリグ・ヴェーダやヒンズー教その他インド思想系、中国古代思想系、イスラム系、そして日本、神や宇宙や世界の成り立ちといった超現実的内容が大好き、現実をも知る。キリスト教は絶対的自由の宗教であり人間は人間として無限かつ普遍の価値を持つ。一代で会社を作り上げた創業社長にとって何よりも一番欲しいのが後継者たる優秀な息子ですよね。娘ではどんなに優秀でも大企業になるほど経営は上手くいかん場合が多い。取引先からも社員からの求心力という意味でも生え抜きよりは血族経営の方が上手くいく場合が多い。何よりも優秀な息子が一番欲しい。時流を見誤った強引無理な拡大戦略と馬鹿息子に後継がせてしまう事が会社が駄目になる二大原因ですよね。優秀な娘婿に継がせるというのも一つの方法である。それで生まれた子供がまた跡を継げれば良い。その場合でも父親は出来れば好き合って結婚して欲しいですよね。日本電産の買収戦略が上手くいっているのは永守社長が現場を知っているからだ。トヨタ自動車はそういう意味でも血族経営と生え抜き経営両立してる手本ですよね、規模も収益も日本一の大企業、経営や労使交渉もお手本ですね。トヨタに派閥争いなんてあるかな。創業者一族に東大卒が多い。企業イメージや商品イメージ出す時にもＴＶタレントの顔なんかより経営者や開発者の顔の方が見たいですよね。ＮＴＴ株財務大臣が30％以上持ってるって、ＮＴＴ総務省管轄なのに財務大臣が持っている。ＪＴ日本たばこ産業も財務大臣が株半分持っている。国が株持っているという事は財務大臣が持っているという認識で良いのだろうか・・官僚は既得権益の塊だからＮＴＴとは仲良しだろうけど政治家とＮＴＴではどうなのかな・・あの菅総務相に光ファイバー強引に分割出来る程の腕力があるか。やはり、企業体としては上場してる大企業であるほど、顧客の為は当然として世のため人のため社会のため全体のためという精神が必要なんだ。全体への奉仕が巡り巡って自分に還って来る。それでも昨今の新興企業経営者には自利だけを貪り金のために錬金術的経営をする人が多い、新興市場が冷え込んだ理由の一つである。自己を知ることが哲学的探求の最高の目的であることは一般に認められている。異なった哲学の学派間のあらゆる論争を通じて目的は常に同じ、懐疑主義者は人間のあらゆる思想を自己自身の存在に向け返そうとする。自己を知ることは自己実現の第一の必要条件である、世界で最大のことは自己自身を知ることである。己を知ることは人間の基本的な義務、あらゆる高級な形態の宗教生活において「汝自身を知れ」というマキシムは定言命法として終局の道徳的及び宗教的法則とみなされている。近代哲学は、我々自身が存在するという証拠は確固たるものであり牢固たるものだという原理をもって始まった。今日では一般的思想傾向は反対の極に向けられている。そのもの全体全面まで俺の中心核枠の内観法、世界の実相が見える。プラトンにおいては、知識と真理は超越的な次元、純粋にして永遠なイデアの世界に属する。人間の認識においても自然においても高級な形態は低級な形態から発展する。知覚、経験、想像及び理性は、すべて共通の絆によって結合されている。アリストテレスによると二つの世界には同一の連続が見出される。彼は生物学者の立場に立ち生命の見地からイデアの世界、認識の世界を説明しようと試みている。それらは全く同一の異なった段階、この活動は人間において最高度の完成の域に到達し、動物及びあらゆる形態の有機的生命もこれを所有している。我々はあらゆる価値において基準の変更を認める。世界のあらゆる宗教の歴史において、ユダヤ教、仏教、儒教及びキリスト教において、我々はこの発展の個々の段階を観察する。哲学的思想の一般的発展に於いても同じ原則が完全に当て嵌まる。ギリシャ哲学は、その最初の段階においては、ただ自然的宇宙だけを対象としていたようである。哲学的探求のあらゆる他の分野に比し宇宙論が明らかに支配的であった。ギリシャ精神の広さと深さの特徴は、個々の思想家が皆同時に新しい一般的思想を代表していることである。ミレトス学派の自然哲学を超えてピタゴラス学派は数理哲学を発見し、一方エレアの思想家は論理哲学の理想を構成した最初の人たちである。ヘラクレイトスは宇宙論的思想と人間学的思想の境界線に立っている。現実を掴み意味を了解しようと欲するなら自己反省の要求を充たす。神が彼岸の超越者よりは人間精神と豊かに交流する精神的実体であるとすれば、神は尊敬されもすれば理解も認識も形象化もされる人間的存在となり、人間と神との間にも普遍的人格の関係に酷似した関係が成立することになる。宗教的形象として残る形而上学的要素は理念の絶対的普遍性を追求する哲学の内に包摂される運命にある？へーゲルは宗教の彼岸性を解体し尽くすことによって壮大な弁証法体系の懐深く取り込んだ。宗教を地上に向かって克服することは、社会的には宗教を国家の中に引き入れることを意味し、宗教の観念性が哲学の中に理論的に昇華されるものとすれば、その地上性は国家守護の宗教という形で現れる筈であった。国家は宗教に基礎を置く。地上の存在は一時的な個別利害の中を動き回る相対的なもの、それが正当性を獲得するには普遍的魂が原理が絶対的に正当化されること、それが神の本質をなす規定であり存在であることが知られる。宗教が地上に降りて脱宗教化されるのと引き換えに地上の国家は宗教を取り込むことによって宗教化神格化される。相互の変貌過程がここには見られる。国家と宗教の価値交換の過程、国家と宗教の結び付きの中で国家は宗教的な絶対性を獲得し宗教は政治宗教としての社会性を存分に発揮する。キリスト教によって齎された人格的自由の理念、人間的価値の理念が、神の支配、神の絶対性とどう関わるかという問題は、へーゲルにあっては国家と個人の問題として現れる。個人の自由は国家の秩序とどう矛盾し綜合されるかという問題として、その問題が姿を現す場を、へーゲルは革命直後のフランス社会に見ていた。
