これが同じ人間かと思えるほど又しても全くの別人になった。
記憶容量も脳神経全身体細胞も無限、新再生から分裂増殖創出し続けている。あらゆる全部の失敗も後悔も最終最後への必然一本道の運命だと理解し納得する。脳内も全身体も地球上全人類もインターネットもネットワークで繋がっている、至る所から創出発火現象だ。脳髄根幹の軸索から無限に枝分かれし末端の末端まで張り巡らせ巡っている。あらゆる全部の原因理由も16歳から軌跡道程から引っ張り引き掘り出し起こし返し今枠から全問題ごと一気一挙に解決している。そのもの全体全面まで俺ごと中心核としての今枠から統一出来る。16歳では絶対圧倒超人的に優れ輝き宇宙最高だった今枠が横浜市立大学附属病院児童心療科で汚い奴等に好奇の眼で見られ竹内直樹に分かった様な口振りでペラペラ頓珍漢な侮辱をされた人生最低最悪のトラウマが重い。子供が過去を発見するには過去を振り返るだけの年を取らなければならない。そして過去を類推しながら未来を発見する。一方は後ろの過去へと一方は前の未来へと繋がっている。不規則で巨大な現在を見ると同時に過去と未来をも見せてくれる、過去を把握して初めて人は現在を理解することが出来る。時間の流れや過去は勿論現在そして未来を理解する手助けとなる。基礎基本的な大転換から巨歩的前進、今迄の積年の労苦の結果が出る。対立の一致、分裂の統一、十五世紀の最も深遠な哲学者にしてコペルニクスの先駆者、ニコラウス・クザーヌス（ドイツの神秘主義的哲学者。スコラ哲学を超克し近代哲学への道を開いた。）は神をこう名付けた。いかなる事物もその比類なさにおいて、それぞれの場で普遍を体現している、近代的な個人感覚の先駆者、世界をこれほど無限な多様性へと発展させる動因となったものは統一性としての神のなかに含まれている、神と存在との情緒的関係。あらゆる神秘主義の意義は諸現象の多様性の背後に存在の統一を感じ取るというところにある。自身もまた一個の統一体であるが故に直接自分の中で捉える。物のもつ多様性や異質性を統一へ受け渡す橋の役割を果たすのは自身の魂、あらゆる神秘主義は自我と神性との融解である。世界像の断片や対立に一人の統括者、共通の源泉を付与しようとする、世界像の統一化。内面生活の葛藤に対して宗教が果たす役割、有神論的あるいは汎神論的神秘主義では相互に離反する世界要素が神の中に統合と宥和を見出していた。魂の内なる対立や不和が宗教的態度の中で平和へ、矛盾の止揚へと至る。あらゆる個別要素を超越した全体の連関の中にこそ世界を超える力は予感される。世界の対立や運命の対立によって引き起こされる様々な感情が一つの流れの波のように互いに合流することこそが宗教性、そのとき、それらの対立は、より深い意味での秘密に満ちた統一を明らかにし、あたかも生物の統一的生命を担う様々な肢体として機能しているように見える。宗教の対象は魂のあらゆる層から発する光線がその対象内部の一点に集まることによって像を結ぶ。身体性を具えた対象物が現実性を帯びるのは異なった感覚器官による感受が対象物の上で一体化するから、様々な利害が一致点を見出すことによって宗教的対象が発生する。その場所は彼岸である。存在一般にとって神がそうであるように内面生活の多様性にとっては宗教的心情が統一の要をなす。宗教的感情は可能性においては人生のあらゆる瞬間に現前している。彼は宗教的感情を、すべての活力の源泉である自分自身の土台と感じているからだ。対立する方向から湧き出す様々な内面の流れが宗教の領域で一つに合流するという事実の反映と還流、屈服と高揚、希望と遺恨、絶望と情愛、情熱と安寧、愛情と疎外感、屈辱と享楽、陶酔と後悔、絶望と信頼、個人の運命、断片のように入り乱れる世的なものの平面を超えて延長していくと線が一つの点に集まる。宗教的高揚と呼ぶ独特の高揚が、それらすべてを自らの内に受け入れる。それらすべてが出会うことによって高揚が発生する。宗教的心情とは魂のあらゆる対立が一つの点に収束する特有の形式なのだ。宗教的対象の一体性、その対象に向かう態度の一体性が切実なものになるためには様々な感情の間に緊張や摩擦が存在する必要がある。力が自分を表現し感じられるものになるためには抵抗が必要とされる。彼にとって神は、あらゆる所有物のうち自らの自我と同様最も確実なもの、信仰者の確実な所有物は無限の彼方にある。神を日々新たに深く完全に獲得しようと思う者は既に神を持っている。神が愛、そのように言うことで神が完全に魂の力の構築物となる。神は魂の力のなかで生きている。神に向かって無限の彼方へと広がって行く。無限の彼方に延長され相見える場所に神が生成する。精神と肉、両者のいずれをも超越し全人格が神と和解する、その本質部分をなす掟と肉も互いに和解する。人間の本質部分相互の和解、全体を包摂する興奮を魂に伝達し、魂のほの暗い受動的な層を融解させ、精神的倫理的力のための形象を作り上げる。風に靡く一枚の木の葉にすぎない我が身、苦しみに出会って初めて得心し運命の何たるかを人生の困窮の中で初めて知る。無限のものの前に立っているという特別に宗教的感情のための空間を作り出す。宗教的素質のある人間においては個人的な苦しみの充満が個人的なものの彼方へと彼を導く。苦しみが自我の狭い器に穴を穿ち無限へと至る通路を彼のために開く。個々の外的な困窮の解決のために神に助けを求めるのは子供っぽい。彼の本質と彼の理想、現実との必然的な関係として感じられるとき神への叫びは、被造物の困窮、存在一般の困窮となり、現世を超えるものへの正義の要求を意味する。その叫びは私たちの本質がそれに向かって身を伸ばす目標点からのみ規定される。目標を目指して成長、生の豊かさも同じ、宗教は魂の高揚からも湧き出る。魂は自らの幸福のための場所を自分自身の中にもち、幸福を自分の中から無限の彼方へと投じる。その幸福を無限の彼方から再び獲得するためだ。そこでの宗教は欠如の補完よりも生命感情の高揚、有り余る豊饒さと自己超越の印、そこでは人間は大きすぎる存在、この生の横溢、自己の力と生の充実の絶対化も宗教の一つの起源である。宗教は肢体であると同時に生命全体、存在の一部であると同時に高い内面化された段階では存在それ自身でもある。生の内部では宗教は生の内容と限りなく多様で対立に満ちた関係を結んでいる。宗教は同時に生を超え、それによって最も高い次元において自分自身をも超え、生の要素として宗教が赴いたすべての葛藤の和解へと進む。審判であり闘技者であり高みにも居る。自らの内で自分自身が招いた二元論を和解させ、いかなる瞬間にも統一、今まさに生成されつつある統一たりうる。新しく生まれ続ける対立の間を通過し自らも発展し続け最後には全存在をかけてすべての対立に和解を齎す。
