ただただひたすら16歳を中心核をそのもの全体全面を目指して行くだけだ、それが行く先だ。オレの目の前に現れた彼奴は人の姿をしていた。まるであの頃からそのまま抜け出して来たかの様に。まるでおとぎ話の中の人みたいな凄ーく綺麗な男の人だった。確かめに来たんだ、この新しい肉体でお前の前に立って、心を揺さぶる何かがあるのか、どうやら、オレは、自由だ。見事だ！！人間の身でよくぞここまで練り上げた！！修羅を生き抜いた。剣も腕も最高に見事だ。オレはオレの国を手に入れる。転生した、受肉と現世への復活を果たした。俺の枠の意識も字も地球の現実の重力の外の宇宙へ飛び出して行く。嘗て居た有った存在した何もかも全部は今に居る有る存在する。過去の全ては今に現存する。意識の概念の及ぶ範囲は何処までも拡がっていく、世界はすべて自分の意識内容ということになる。世界の総体を対象化するところの超越論的主観性を樹立する。過去は広大な海底の中に潜んで、今もいつ表面に浮かび上ろうかと、じっとチャンスがくるのを待っている。人間の心理生活の中では、一度形成されたものは何一つ消え去ることなく、すべてが何らかの形で存続し、たとえばその時点までの逆行など、適当なチャンスにさえ巡り会えば再び表面に浮かび出ることもあるのだ。世界全体が己の身体だとすれば、その中に16才から広がる軌跡道程もあるわけだ。世界は音楽によって成り立っている。世界は感情的である。駄目になって落ち堕ち墜ちてしまった自分を、また元の位置以上に引っ張り引き上げたい！！人間の霊には神と同じ性質がある。あらかじめ彼の中に神が宿っている程度に応じて神に参入することができる。私が神を見る目は、そのまま神が私を見る目である。人間の霊は神の灯明である。神によって生き、神の中に生きて居る。君の中に宿る神の望むものはすべて実現する。何が汝の身に起きようと、自己と神との合一を意識するかぎり幸福である。迷妄だけが人為的な支持を必要とする。真理は自存自立する。真理の喜びはあらゆる喜びにまさる。幸福であるためには、自分の意思と全体的存在を統御する普遍的意思との一致を考える。ひたすら全体的存在を愛す。生命は専ら全体の中に、また全体を通じて存在するのだから。我々はみな全体的存在の構成分子なのだから、思索する構成分子たちからなる全体的存在をまず心に思い浮かべて、その後、それぞれの構成分子としてはいかに自分自身を愛すべきかを決定する。枠が全体を愛する、全体が枠を愛する、枠は全体に愛される、全体は枠に愛される。全体としての身体は手を愛し、手も意思があるとすれば、身体全体を愛するように自分をも愛するであろう。手や足に自分自身の意思があるとすれば、全体としての身体に従って動いて初めて秩序ある動きが生ずるであろう。手足は身体全体の幸福を願うとき初めて、自分達も幸福となることができる。彼等の幸福も、またその義務も、等しく彼らがそれに属し、彼らを、彼らが自分を愛する以上に愛する全体的な霊の活動との協調にあるのである。我々の存在と他の全ての存在との合一の意識は、我々のなかに愛となって現れる。愛とは己の生命の拡大である。愛すれば愛するほど我々の生は広大で充実した喜ばしいものとなる。人類のすべての歴史が、ただ神に従うことによって理解されるということ、この世に永遠の秩序が存在することは、その秩序に従って生きてみて初めてはっきりするということ、ただそうした方法によってのみ我々は、この世において神の御旨を認識することができるということ、真理を証明している。自分の生命を精神的自己完成のなかに置く人、彼の望むものは常に彼の支配下にある。たとえそれが我々に、運命の温かい手によって与えられようと冷たい手によって与えられようと、いずれにせよ人生の一瞬一瞬を出来うるかぎり良きものとすることこそ生の芸術であり理性的存在者の真の特権である。古い時代遅れの信仰の廃墟の上に生じたすべての強力な信仰は、現存の社会体制を変革する。あらゆる強力な信仰は必然的にあらゆる人間活動の分野に適用されるからである。“御国の来たらんことを、御旨の天に行なわるるがごとく、地にも行なわれんことを”という主の祈りの言葉を、様々な表現、様々な強さで絶えず繰り返しているのである。人間は、その意識の最高の高みにおいては孤独である。思慮深き人々は祈りによってその高みにとどまる。いかに16才とはいえ有限、もうすぐ埋め尽せる。自分の霊を知る者には、そのなかの神的本源の存在がわかる。自分のなかの神的本源がわかった者は、常に、その天よりの賜り物に相応しい行為をし、相応しい考え方をするであろう。精神の成熟は、輝き溢れる力よりも尊い。我々の内なる永遠なるものは、時が我々のなかにもたらす破壊作用を利用しなければならない。この世の万物は成長し花開き再びその根に帰る。その根に帰ることは安静を意味し自然との調和を意味する。自然との調和は永遠を意味する。天と地は偉大である。俺の世界の理性は無限である。この現実世界にも充満遍満する。無限なる森羅万象悉く究め尽す。肉体的生命を完全に解明する。万人の中に宿る同一の神的本源の意識から生ずる全人類と己との合一の意識は、人々に対して最高の、個人的には内面的な、そしてまた社会的には外面的な幸福を与える。時は最大の幻想である。それを通して我々の存在、我々の生活を分解するプリズムであり、超時間的なもの、理念の世界のものを探求するための形式である。時間のなかを回転する世界、回転するかに見える世界、世界を分析する我々の思想、日々これ新たになりゆく我々の思想である。存在すべきものは現に存在している。時間と空間、それは有限な存在者の利用に供するための、無限なるものの微分である。我々の精神は肉体に投ぜられ、そのなかに数と時間と量とを発見する。そしてそれについて考察した結果それを自然と呼び必然と呼ぶ。この年まで成熟して心身共に発達し、人生の全展望が開ける生の頂点に達し立っている。何十回何百回と、喜びと生気、それにつづく絶望と生存不可能の意識を繰り返して、いつのまにか徐々に生の力が私に帰ってきた。私は神を感じ神を求めるとき、そんな時だけよみがえり、まぎれもなく生きていることに気づく。神を求めつつ生きよう。私の生涯に深い印象を残し私を虜にした。神の国は汝らのうちにあり。私は感動で圧倒された。私に永遠の印象を刻みつけた。
