ただただ己の世界に使い切り尽し果たし埋没し陶酔耽溺していた。濁った心ごと意識も能力も性欲も枠の何もかも全部中心核に飛んで行ってしもうた。枠からは何も残さず余さず残らず余らず抜かれ奪われ持ってかれ絞り搾り取られ出され切られてしまった。獅子奮迅の超人的な活躍振りを見せた。俺の枠の底力で持ち株を根刮ぎ上げ続ける。枠の軌跡道程も中心核にある。長期低迷停滞からの脱却、日はまた昇る。環境が少し好転するとはしゃぐのは人情、乗り遅れるなという焦燥感、精神的には昔より16才より今迄のどんな時より今が一番不安定である。もうすぐあの日から１１年か・・超高密度の凝集圧縮収束しされた枠から全体まで広がり枠はその中心を目指し続けた１１年・・16才宇宙最高の枠（今の丹田）から枠の外に出し出てしまってから、そのもの全体まで広げ広がり続け、枠の外に16歳からの軌跡道程中心核枠を創り造り作り出し上げ、もうすぐ一つに合一して完成する。このゴミ溜め人生も終る。世界展開を加速させていく。あの時より16才より遥かに栄光の高みに昇る。その自らの内に証した世界、自内証を、そのまま表現するもの、仏陀の悟道内なる情景そのもの、しかし一方、古来、因分可説・果分不可説といわれて、仏果の世界は言葉で表しようもないので、仏果へ到達する因となるもの＝修行の道筋を明かしたものであるともいわれる。少年が知識を訪ねつつ修行を完成していく求道遍歴の物語。雑華とは種々様々な華、厳には飾るの意がある。それは、覚りを開いた釈尊＝毘盧舎那仏に映じた世界の姿である。釈尊の仏国土ということになるが、そこは衆宝雑華をもって装飾となす。あらゆる宝や様々な花によって国土が飾られている。雑華とは、生きとし生けるものが釈尊の周りにいて、仏道を修行しながらこの世界を荘厳している飾っていることの象徴である。つまり我々の一人独りが、菩薩道をこの世で行うことが釈尊の仏国土を飾る。重々無尽の時間的空間的関係性・・釈尊＝毘盧舎那仏が顔から口から無数の光明を放つ。そうすると釈尊の周りに集う菩薩衆は十方に無数の世界があり、その一々の世界に如来がいることを見る。そして各世界の大菩薩が釈尊の放つ光に触発されて無数の菩薩を従えて釈尊のみもとにやって来て、仏を供養し足を組んで坐す。そこで釈尊は眉間の白毫相から一切宝色灯明雲光という光を放つ。その光の中で普賢菩薩が三昧（心が深く統一された状態＝禅定）に入り、やがて釈尊の威神力を受けて説法していく。此の蓮華蔵世界海の内に於ては、微塵中に一切法界を見る。たった一つの塵の那かに宇宙のすべてを見る。一即一切・一切即一、いたる所に出てくる。十方世界の菩薩衆が釈尊の周りに集まって来る神秘的で荘厳な光景にも、既にその理はあらわれている。一切の世界は一毛道に入り一毛どうは不可思議の刹を出す。一切の諸相は悉く一相に入り一相は一切の諸相に入る。一つの事象は他の無数の事象と多種多様な関係をなし無限の関係で関係し合っているという重々無尽の縁起を明かし、個々の事象が自由自在に交流浸透し合っているという事事無礙法界を説く、いかにも絢爛たる華麗なコスモロジーが其処にある。歓喜地、正しい智慧を得て歓喜する。離垢地、戒を守って心の垢を離れる。明地、陀羅尼を得、智慧が明らかになる。焔地、智慧の焔によって煩悩を焼く。難勝地、断じがたい無明の煩悩を断ずる。現前地、縁起への智慧が現前する。遠行地、修行が深まり声聞縁覚の境を遥かに超えていく。善慧地、説法教化が自由自在で善く法を説く。法雲地、智慧は大雲のようで甘露の雨を降らす。これらの段階を通って仏となる。大乗仏教では一般に、初発心住から十住十行十廻向十地を経て仏となるまでに三大阿僧祗劫かかるという。ほとんど無限に近い時間ではあるが、それでも一つの有限の時間の単位を表している。初発心の時に便ち正覚を成ず。信が定まって初発心住に入りさえすれば仏となったも同じ、時間的に一即一切即一ということからも、つまり現在と未来は融け合っており同時に成立している。時間を圧縮？全部の時代時期あらゆる頃あらゆる時が今に？過去現在未来は同時に今に成立している？釈迦牟尼仏は久遠仏であり久遠の昔に仏となった存在、永遠の存在、未来に向けての永遠性は寿命無量によって表されている。既に釈尊が覚りを開いてから永劫の時間が経っているのだ。歴史上の釈尊、身体という形をもって現れた釈尊は、実は成仏してよりこのかた、久遠の時間を経ている仏、久遠仏が我々のために地上にお出ましになったのが歴史上の釈尊である。人の肉を持って生まれた。それでも圧倒的な力の足りなさを感じるのは、求めるところが果てしなく高いのと、己の根本根源根元が中心核にあるから・・すべては運命により因果により予め決められ定められ始めから終っている。枠の能力とは支配できる領域がどれだけか、今は全体そのものまで俺、16才に軌跡道程の肉付けされた枠、本願、修行に入る最初に将来実現すべきことを誓う願を明らかにする。阿弥陀仏の名は無量光（アミターバ）無量寿（アミターユス）という意味のサンスクリットの音写、法蔵菩薩となった。法蔵とは、ダルマーカラ、真理の根源、真理の鉱脈、という意味である。法蔵菩薩は、どんな仏国土を完成すべきか、五劫の間、思唯して、本願を立て更に無限ともいえる長い時間修行して願い通りの国土を完成した。まるで人間錬金術だね。また若く美しくなったし、これからだ。成長を阻害していた要因は外れた、後は脚長く背高くしなっていくだけ、殻は外れた、後は優れていくだけ、時々は肉体を離れ意識は世界中を遊び飛び跳ね回る。彼は時間も空間も完全に超越しているのだ。唯心に進入して外の対象を分別しないように真如の所縁に住して唯心をも超えるように唯心をも超えて無相をも超えるように真の無相に住した行者は大乗を見る。彼は任運自在で静寂で諸々の願によって浄化される。勝れた智の無我なることを無相によって見るのである。もし見等を離れてかの確立されたもの自己が存在しているのなら、自己を離れても、それら見等は存在する。それでも今は、現実には、取り留めなく広がり過ぎて収拾が付かない。その一部である枠も大部分外にある。埋め尽し合一するには後どれくらい？纏め纏まれ！！思考のスケールが全然桁違いに大きすぎる。寂しい人は誰かの胸の中に身も心も埋めたい。今日は株も少し失敗したし−の一日だった。明日以降また＋に転じられるさ、女も抱けるし・・長期的にも短期的にも人生のバイオリズムが激しく時期により日によってまるで別人、気分がコロコロ変わる。それでも枠としても、16才で壊し壊れ壊されてから、多少マシな時期も女性に＋を向けられたことも沢山あったのに、全部ぶっ壊し壊れ壊され、辿った今迄の軌跡道程も、すべては最終的な大成の為の運命だと、避けられない彼の宿命だったと、必然の一本道だったと信じて・・字に力を使い続けた効果が枠に世界に出る。輝いたのは一瞬だった｡しかしその輝きは余りにも衝撃的だった。
