たられば実現、たらればの具体現実化だ。
16才宇宙最高頭脳、16歳の少年が旅をする。今再び16才に、16歳の脳心身体顔内面能力で行く。今枠脳心身体こそ人生軌跡道程全時期全部の全枠全脳全心全身体に、先ず脳の賦活性化、心の清浄化、身体の正常化、宇宙へ飛び出し現実を超越している。無限大の脳心身体の無限の増大量巨大強化、史上最も優れた全時期の個人単体こそ中心核たる今枠脳心身体である。数え年でも大台３０歳に乗る訳にはいかない、何が何でも何としても今年中だ、死ぬ前に竹内をやる。16歳から創り造り作り出し上げた中心核に今枠脳心身体ごと預け与え入れる。数えでも大台の歳に乗る訳にはいかない、完全に背中を押される、骨髄バンクからの電話は無いと思うが（もう１００％駄目だろうけど）飛び降りれなければ明日戸塚山谷病院に聞きに行けるか、もう最終最後の限界点、越えている。今すぐにも飛び降りればこの生き地獄から逃れられるのか。最終極点に来ている、終わらせ終え終わらなきゃ焦るー！！史上最も優れた今枠脳心身体に史上全枠全脳全心全身体に、今枠脳心身体から離れている。何処までも広げ広がり拡大拡張拡充し無限に進化成長発達発展増殖し続ける。今すぐにこの枠だけはマシにマトモに優れさせ如何にかしてくれ終らせてくれ。意識も字も地球外へ宇宙へ飛んでいる、宇宙に書き込み入れ印刷している、完全骨髄移植している。全体を対象相手を包み込み包容する、過去を人生軌跡道程を実現具体化する。また今が１６才だと信じ思い込み１６歳から１６歳以上の今枠脳心身体である。自然から直接受けたもの、お前は世界の鍵を見つけた。その時の感じ、心に刻み込まれた驚きと感激と興奮と喜び、世界中が光の束で出来ている。汚いものも醜いものも悪いものも心の中から吸い取ってくれた。悪人も善人も弱い強い自分などというちっぽけなものはなくなってしまうのだ。人間の尊さが判ってきた。人間も生き物もあらゆるものの尊さをしみじみと感じられた。自然の偉大な力を通して尊さを感じた。本当に綺麗な一瞬を体験した。あの時は本当に凄かった！！自分が爆発した灼熱だった！自分や世界が本当に太陽よりも熱かった。幸福で充実していた。自分を鍛え上げ忍耐力を身に付ければ個性の強い英雄になれる。人を呑み込む。優れた人間ってのは十代の頃からズバ抜けてるもんだ。彼はそういう器量の持ち主だよ。どんどん大きく膨れ上がっていく。この先どこまで大きくなるか。小澤雄一郎に会った時も多少マシな状態だった、富永由希子か林彩を抱いて山田専務社長になってれば再び上り調子だったかも？限りなく力が抜け出て行く感じだ、心の鎧も剥がされていく、心の傷がトラウマがパックリと口を開け抉られる。日本の大学は19世紀ドイツに生まれた近代大学を手本に学部制の枠組みを構築してきた。教授は学部で法学や工学、医学、文学などの確立された学問を研究する。同時に、その学問体系をカリキュラム化し学生に教育する。研究と教育が学部で一体化しアカデミズムの世界を構築していた。20世紀半ばに入ると自然科学を中心に新しい理論や技術革新が生み出され社会の構造と価値観に大きな変化がもたらされた。現実社会の変化のスピードが急速に速まり社会の価値観が多様化する。この激烈な社会変動に対し大学教育改革は緩やかに進行してきた。今最も緊急の課題は研究と教育の分離、従来型の学部制大学ではアカデミックな研究と教育は一体でよかった、しかし研究課題が学部横断的な色彩を強めている現在、例えば研究は大学院で学部では教育といった分離は必然となっている。アカデミズム型大学からの脱皮、研究と教育の分離など一連の教育改革の流れから、情報、社会、文化、環境など現代的課題に対応した教育が大学に求められ、その具体策の一つとして新しいタイプの学部や学科の設置が多くの大学で見られるようになった。情報は飛躍的に増大し知識や枠組みは日々更新される。今日本の産業界で求められている人材の条件として常に新しい知識やスキルを修得しキャリアアップを目指し努力を続ける意欲を持つことが挙げられる。継続して学び続ける態度が身に付いていれば卒業後も向上心を持って豊かな人生を送ることが出来る。大競争時代の大学経営の観点から総括すれば各大学のセールスポイントを明確化して独自の理念を再構築し必要に応じて新増設する。強い大学を実現し同時に人材育成機関として現在の大学に求められている社会的責任を果たす。一つの思想や学説が立つと更にそれを超克するために異なった思想や学説が起こってその上に付加され思想学説は歴史的に発展していく。歴史的に絶えず新しい説が現れ上へ上へと積み重ねられていく。仏教の経典に当てはめれば数多くの経典こそ正に異部加上の産物、それらすべてが歴史的進展に伴って作成され順次に加上されていったもの、経典の成立を歴史的に後付け順序づけた。「言に人有り」「言に世有り」「言に類有り」合わせて「言に三物有り」という。思想というものは各人の個性によって把握や表現の仕方が異なり学派色を帯びてくる。時代の変化に伴って思想言語も変わってくる。ある一つの言葉が時と場合によって意味を異にして使われる。生成躍動している事物の当処そのまま全体的に空と観ずる。小乗仏教は事物を分析していって果てにおいて空と見たので虚無に陥った。大乗仏教は事物の全体そのまま空と観ずる。現実の諸々の事物や事象をありのままに広く全体的に観察して真相を空と定義したのであって空を掴むことは実は現実へと出て行き現実の事物事象を正しく生かすことなのである。不但空、真空妙有、空の真意。空性の成立するところに一切が成立する。一切皆空一切皆成。事々物々が相依相関して全体一をなしながら、それぞれ生成躍動している、その姿その真相を名付けて空といった。認識論ないし実践論の角度から言い換えると空とは事々物々をありのまま全体的に観察すること、自己の主体的な実践が生まれてくる。如来は真相実相をありのままに（如実）観察して一体となったことを意味し、如来は一体となったところから逆に現実世界に出て来て掴んだ真理を現実に活現し駆使して人々を救済することを意味する。
