カッシラーが『シンボル形式の哲学』からアメリカ滞在を経て『人間』
知的行動とは？我々があらゆる動物的反応に見出すものと同一の連合的機構及び自動性の働き、ただ遥かに洗練され複雑になっているだけ、この説明を受け入れるならば知性と本能の差異は程度の差として無視し得る。本能という言葉は実体化されて一種の自然力とみなされる。分類するということは自然でもあるし有益でもある。精神には個々の変化してゆく無限の事象を前にして定義し目録に入れリストにのせ共通の項目に還元し幾つかの群に纏め上げる働きが備わっている。区別と分類の本来の任務を忘れる瞬間、それを事物そのものだと考える傾向は科学的専門化において普通陥りやすい思い上がった迷妄、この態度は物理的科学においても人間についての理論を構成する際にも支配している。実際においては、それぞれ異なった刺激条件に対して特殊な反応が、そのための機会の存する数だけあり、我々のリストはただある目的に応じて作られた分類にすぎない。人間とは何ぞや、という問題に答えるために従来用いられてきた様々の方法についての簡単な概観を行って来たが、此処で我々の中心的論点に到達する。人間の顕著な特性質は人間の仕事である。人類の範囲を定義し決定するのは実にこの仕事であり人間活動の組織である。言語、神話、宗教、芸術、科学、歴史は、この範囲を構成する様々の部分である。人間の哲学は、それ故これら各人間活動の基本的構造に見通しを与え同時にそれを有機的全体として了解させると考えられる哲学であろう。言語、芸術、神話、宗教は共通の絆によって結合されている。スコラ思想において考察され記述された如く実体的結合よりも寧ろ機能的結合である。無数の形態とその表現の遥か背後に求めるべきもの、そして遡って最後の分析において共通の起源に至るべきものは、これらの基本的機能である。この任務を遂行する際、我々は、あらゆる経験的証拠を検討し、内観、生物学的観察及び歴史的探求の諸方法をすべて利用する。古い方法は新しい知的中心に関係づけ新しい角度から見直されるべきである。言語、神話、宗教、芸術及び科学の構造を記述しながら心理学的用語が常に必要なことを感ずる。宗教的感情、芸術的または神話的想像、論理的または合理的思考を語る。すべての世界に入り得る。あらゆる人間の業績は特別の歴史的及び社会学的条件のもとに行われる。これらの仕事を支えている一般的構造原理を把握し特殊の条件を了解する。言語、芸術、及び神話の研究において意味の問題は歴史的発展の問題に優先する。経験的科学の方法論的概念及び理想における緩徐であるが持続的な変化を確認する。文化の構造的見解は単なる歴史的見解に先行する。巨大な量の不連続の事実を分類し秩序づけ組織し得る一般的構造図式をもつ。すべての物は移行？歴史を無限の流れと考える？知的な自己保存は無限の事件を幾つかの結果に関係させて分類すべきことを要求する。哲学は人間文化の個々の形式を分析し、あらゆる個々の形式を包含する普遍的綜合的見解を求める。寧ろ種々の衝突する力の永続的闘争を見出す。科学的思考は神話的思考に矛盾し、これを抑圧する。人間文化の統一と調和というものは現実の事件の経過によって常に失敗に帰している。敬虔なる欲望、目的は良いが実際は悪いものと殆ど同じであるように見える。人間文化は異なった線に沿い異なった目的を追求する様々の活動に分けられている。哲学的綜合では我々は効果より行為の統一を生成物より創造過程の統一を求める。人間性という言葉が何物かを意味するならば、それは種々な形式の間に多くの差異と対立が存在し、すべてが共通の目的に向って働いているということを意味する。結局、顕著な特性、普遍的性格が見出されて、その中で、それらがすべて合致し調和する。様々な方角に向う光線は集合され思考の焦点に集中する。人間文化の事実の組織化は個々の科学において既に始められている。これらの科学はすべて系統的な秩序を与えることの出来るようなある原理、一定のカテゴリーを求めつつある。科学それ自身によって予め行われる綜合から哲学は出発点をもつ。哲学は、より大きい綜合及び包括を成し遂げようという企図を持つ。神話的イメージ、宗教的教理、言語的形態、芸術作品の、無限に多種多様な中において、哲学的思考は、これらの全創造物を結合する一般的機能の統一を明らかにする。神話、宗教、言語、そして科学さえも共通の主題に属する甚だ多数の変種とみなされるに至る。そしてこの主題をきき得る了解し得るようにするのが哲学の任務である。人間文化のあらゆる現象の中で神話と宗教は論理だけで分析することが最も困難なものである。神話は一見したところ単なる混沌状態、支離滅裂な観念の集合である。宗教的思想と合理的または哲学的思想、両者の考え方の真の関係を決定することは中世哲学の主な任務の一つであった。スコラ哲学隆盛期の体系では、この問題は解決されたものと考えられた。トマス・アクィナスにとって宗教的真実は超自然的、信仰の神秘は理性を補い完全にする。宗教と理性の二つの反対の力を調和しようとするあらゆる試み、これに反対する深い宗教思想家は常に存在していた。テルトゥリアヌスの言「不合理なるがゆえに我は信ず」。パスカルは宗教の本質は曖昧で了解不能な性質にあると断言した。キルケゴールは宗教生活を大きいパラドックスだと述べている。宗教は理論的にも倫理的にも背反と矛盾に充ちた謎である。それは、自然、人間、超自然的な力及び神々自身との交わりを我々に約束する。具体的な現象においては宗教は人々の間の最も深刻な衝突と狂熱的な闘争の源となった。宗教は絶対的真理を所有することを要求しているが、その歴史は誤謬と異端の歴史である。それは我々に遥かに我々人間の経験の限界を超えた超越的世界の約束と期待を与えながら常にあまりにも人間的であった。内容よりも形式を探求するとき問題は新しい様相を呈する。神話的思想の題目、主題及び動機は無限である。暗き果てしなき大洋、限りもなく広さもなし、長さも幅も高さも時も所も失せて跡なし（ミルトン）。神話的観念を統一し単一の型に還元しようとする比較神話学の種々な学派の試みは皆完全な失敗に終った。神話的創作の多様性と差異あるも神話形成機能は真の同質性をもつ。人類学者及び民族学者は全世界に全く異なった社会的及び文化的条件のもとに同じエレメンタリーな思想が見られることに甚だしく驚かされることが多い。同じことは宗教の歴史に関しても当て嵌る。信仰箇条、教理上の信条、神話学的体系は果てしない争いを続けている。すべて差異も宗教的感性に特有の形式のあること、宗教的思想に内的統一のあること、宗教的シンボルは絶えず変化するが、その背後にある原理、シンボル活動それ自身としては同一である。儀式は異なるが宗教は一なり。哲学は神話形成機能の創造物が哲学的にして了解可能な意味をもつと確信していた。脚が軋む、この年になって背が伸びてる気がする、肉体的にも若き日を16歳を超え越えるんだ。神話が、あらゆる種類のイメージ及びシンボルの背後に意味を隠しているならば暴き出すのが哲学の任務、ストア時代以来、哲学は特殊の極めて精巧な比喩的解釈技術を発展させた。
