ボードレール作・三好達治訳『巴里の憂鬱』
大衆と孤独と、この二つの言葉は、生気あり詩想豊かな詩人にまで、共に相等しく互に置き換えらるべき言葉である。詩人は思うがままに彼自らであり亦他人であることを得る比類なき特権を享受する。彼は欲する時に肉体を求めてさ迷う魂の如く、人の何人たるを問わず、その人格に潜入する。孤独にして思索する散策者は、この普遍的な融合から、比類なき陶酔を味わう。私はお前に与えることが出来る、総てを獲得するもの、総てに値するもの、総てに代用するものを！かかる勇気ある克己に就いて私は誇を感ずべき権利を持っていた。しかし悲しいかな私の夢は破れ一切の力は私を棄て去った。日が沈む。一日の労苦に疲れた憐れな魂の裡に大きな平和が作られる。そして今それらの思想は黄昏時の定かならぬ仄かな色に染めなされる。黄昏は狂人達を扇動する。彼の黄昏狂は他人に向っても彼自身に向っても狂暴に働きかけるのであった。一切の名誉が彼に与えられたとしても夕暮はなお彼の中に特殊なる空想への熾烈な希望を点火する。彼らの精神に暗澹たるものを置く夜も私には光明を齎す。同一の原因から二つの相反した結果の生ずるのは往々にして見るところではあるが、それが何か絶えず私を憂慮せしめ警戒せしめる。おお夜！おお生気を与える暗黒！汝こそ私にとっては心の祝祭の合図であり汝こそ苦悩よりの釈放である！荒野の孤独に於ける首都の石ころ多き迷路に於ける星の瞬き、燈火の煌めき、汝こそは女神なる自由の狼煙である。 ああ黄昏、汝の如何に甘く優しきかな！勝ち誇らんとする夜の威圧の下に、一日の事切れる苦悩の如く、なお水平線に棚引いている薔薇色の光、日没の最期の栄光の上に、濁った赤い汚点をつくる諸々の燭火の火穂、東洋の奥処より眼に見えぬ手の抽き出す重い絨毯、それらは生命の荘厳なる時刻において人の心中に互に相剋する、すべての複雑した情緒を模倣している。旅行中のことであった。私の置かれていた周囲の風景は抗しがたい気品と偉大さとを備えていた。確かに何物かが、その時、風景から私の魂に入って来た。私の思想は辺りの空気に等しい軽さで飛翔していた。世の常の情熱、かの憎悪や世俗の恋愛の如きは今や脚下の渓谷の底に棚引いている雲霧と同様に遠いものと思われた。私の魂は私の覆われている天球と等しく広大で純潔なものに思われた。全く静粛な大運動によって起される荘重な稀有なる感覚が恐怖を交えた歓喜で私を満した。一言にして云えば、私の取り巻かれていた感動すべき美のために、私は私自身と全宇宙と完全な平和の状態に置かれている自らを感じていた。欠くることなき至福と地上の一切悪への総体的なる忘却との裡において、済度しがたい肉体がその要求を新たにしつつ疲労を快復しようと考えた。数々の思出を虚空に波打たせる。人々の魂が楽の音の上を旅する如く私の魂は薫の上を旅してゆく。旅への誘い、そは宝の国と人の呼ぶ荘厳善美の国、嗚呼げに宝の国、そこでは一切が美しく富み且つ静謐にして純潔、奢侈が秩序の裡に自らの姿を反映するのを喜んでいる。呼吸にまで生活の甘く豊饒なる既に混乱と喧騒と偶然の取り除かれたる、幸福は沈黙と融合し、懐かしき恋人よ、一切がお前に彷彿たる国土。然り、それこそは我らが行きて感覚の無限もて呼吸し夢み時間をして更に永からしむべき国土なるかな。行きて幸多く暮すべき雰囲気、歩みの遅い時間がより多くの思想を有し、大時計は遥かに奥床しく意味の深い厳かさで世の幸福を点鐘する。幻想によって自然が変形され正しく美化され改鋳されている。なおも探求して絶えず遠くへ彼らの成功の限度を押し進めんことを！汝は汝の姿を汝自らの万法照応の裡に映し見る。凡そ人は、その体内に絶えず分泌され新たにさるる自然の一抹の阿片剤を有し、生より死に至るまでの間に遂行し実現したる行為に満されし現実の歓喜に満されし幾ばくの時を数えるか。これらの宝、家具、奢侈、秩序、香気、奇蹟の花、河流、静かな運河、それはお前、それらが運び去るところの富を満載した巨大な船舶、それはお前の胸の上で微睡み展転する私の思想、お前は空の深さを清澄な美しい魂に映しながら悠久無限なる海の方へと連れて行く。波浪に疲れ東洋の産物を満載して再び故郷の港に帰って来る時にも即ち無限の方から、お前に向って再び帰って来る私の豊富にされた思想である。

更なる成長を促進する。
世界中には企業や組織に属していない個人でも素晴らしい才能を持った人が埋もれている、そういった人達も掘り起こせる時代になった、完全開放双方向の世界においては企業側は箱を用意するだけ、中身のやり取りは消費者同士で行う、全体の中で個の部分同士の連携から新たな創出が生まれる。個の創ったものが他の個に新たな創出を誘発する。
