一瞬を無限に拡大して永遠まで
意識を根刮ぎ枠から抜き奪い取り持って行く。芽も根も枠から引き引っこ抜く。自分であるという意識も枠から離し離れ離され放し放れ放され中心核にある。自分であるという意識も枠から中心核から全体に移す移る移行する。体系のなかでは一切が必然的に起る。我思う、故に我在り。汝の信ずる如く汝になれ。汝の信ずる如くに、汝はある。精神生活においては一切が活動的である。罪とは、神の啓示によってどこに罪の存するかが人間に明らかになされた後に、人間が神の前に絶望して自己自身であろうと欲しないことないしは絶望して自己自身であろうと欲することである。絶望は内からくる。その度に応じて絶望はまた漸次積極的に措定的なものとなってくる。罪を構成しているものは神の観念によって無限にその度が強められたところの自己であり、したがってまた行為としての罪についての最大限の知識である。このなかで罪が積極性であるということが表現される。罪が神の前に起るというのが、罪における積極的なるものである。永遠の相のもとにおいては一切がある。本質的な連続性であるところの永遠は、人間に一貫した連続性を、したがって人間が精神として自己を自覚し信仰をもつべきことを要求する。個々の罪は罪の継続を示す表現である。罪の増大であり新しい罪である。罪から生れ出た業はただ罪によってだけ力と強さを獲る。罪がそれ自身において一貫性をもったものであり、悪がそれ自身のうちに有するかかる一貫性によって罪もまた力を獲る。神は彼を最大の知者として認めた。一つのものに一切を賭する。自己自身の内なる無限の一貫性の観念に到達する。精神の規定のもとに立っているあらゆる実存は（よしそれが自律的に自己の責任だけでやっていこうとしているようなものであっても）本質的に自己自身の内に一貫性をもっているとともに、更により高い或るもののうちに（少なくとも或る理念のうちに）一貫性をもっている。彼は自分の生命がそれに託されている全体からもしかしたら切り離されるかも知れないという万一の結果について無限の観念を抱いている。その同じ瞬間に恐らくは魔法が解けて、諸力を調和のうちに統合していた不可思議な力がその魔力を失い、バネはゆるみ、全体が恐らくは混沌と化し、その中で諸力が反乱を起こして相互に戦うことになろう。一貫しているときにはその鉄のような強さにもかかわらず極めてしなやかでありその一切の力にもかかわらず極めて柔軟であった巨大な機械が今狂い始めたのである。機械が優秀な偉大なものであっただけ、その混乱はいよいよ戦慄すべきものとなる。かくて善の一貫性のうちに安住しつつその生を保っている信仰者は、それでまた微塵の罪をも無限に恐れるのである。彼は自分のために懇願する、涙を流しながら自分のために懇願するであろう。ただ罪の継続のなかでだけ彼は彼自身であり、かつ彼自身であるという感じを持ち続けることができる。ただそのなかでだけ彼は生きているのである。罪における状態は、彼がそのなかに沈み込んだ深い底に彼を止めておき、彼の無神的な状態を一貫性によって強化する所以のものである。個々の新しい罪は単に罪のうちに止まっている状態の表現にすぎないので、罪のうちに止まっている状態こそ本来の罪である。罪の度の強化される運動はここでもまた、例のように方向を内面にとって、漸次強烈な意識の中へと入り込んで行くのである。自己の罪にかんして絶望する罪。罪とは絶望である。それの度の強まったものが自己の罪に絶望するという新しい罪である。罪が新しい意識状態のなかでその度を強められることになる。自己の罪に絶望するというのは、罪がそれ自身において一貫的になったないしはなろうとしていることの表現である。それはただ自己自身のいうことだけに耳を傾け、ただ自己自身だけを問題にして自己自身のうちに閉じ籠る、しかり、更にもう一重深い囲いのなかに自己自身をかくまうのだ。罪に絶望するというのは、人が更に深く沈むことによって自己の身を支えようとする一つの試みである。かつて何か或る罪に耽っていた人間が、その後暫くの間誘惑に抵抗してそれに打ち勝ってきたのが、また逆戻して再び誘惑の虜になったとする、この場合に見られる人間の憂鬱なるものは例えば摂理に対する憤り、運命のせいででもあるかのように、激情的な人間、彼のうちにいかに多くの善が宿っており、彼がいかに深い本性の持ち主であるかということの現れであると考えられる。罪の故の彼の絶望は罪の度の一層強められた性格のものなのであり、それが即ち罪への一層の沈潜であるということ。事実はこうである。彼が誘惑に対して抵抗を試みながらそれに打ち勝っていた間中、彼の眼には自分が実際以上に内面的に立派な人間になったように見えたのであった。そこで彼は自己自身を誇るに至った。再犯によって過去は突如として再び全く現在となる。自分を助けてくれた神に対して謙遜に感謝しつつ出発する。遥かに彼の力量以上、自分がかつてどのようであったかを回顧しつつ謙虚な心になる。     
