世界史とは総じて時間のうちにおける精神の展開、自然としての理念が空間のうちで自己を展開するのと類比的である。世界史は自由の精神という意識の展開過程、現実化の展開過程を叙述する。この展開過程は段階的行程、自由の諸規定の昇進的な系列という在り方で進捗する。世界史とは、精神が自分自身即自的に知をいかにして仕上げていくかの過程の叙述である。萌芽が樹の全性質、果実の味や形を内蔵しているのと同様に精神の最初の痕跡も既に全歴史を潜在的に含んでいる。世界史とは自由の意識における進歩、必然性において認識することを課せられている。自己意識という内なる太陽は一層高次の光輝を放つ。世界史は自然的意志の放埒を陶冶して普遍的なもの主体的な自由たらしめる訓育である。世界史は自由の意識を内実とする原理が展開していく段階的行程を叙述する。自由は概念上自分についての知であるから、それ自身のうちにおいて自分を意識し、そのことによって自分を現実に齎すという無限の必然性を内に含んでいる。自由はそれ自からが自分の実現する当の目的、精神の唯一の目的である。この終局目的こそが世界史が目指す当のもの、大地の広大な祭壇の上で長期にわたる時間の径行のうちで一切の犠牲がそれに捧げられた当のもの、自己を貫徹し完現し、ありとあらゆる事件や状態の変遷のうちにあって独り不動なもの、万象のうちに真に作動しているもの、神がこの世界を以て為そうとする当の目的、神は最も完全なもの自分自身、自由の理念は自己を実現するのに如何なる手段を用いるのか。或個人が彼の身中にある意欲の全脈管をあげて一つの対象に没頭し彼の欲求と力量の一切をこの目的に集中する情熱がある。眼前に拡がっている世界史という大きな敷物の縦糸が理念、情熱が横糸である。 人間の行為を通じて現出する。歴史上の大人物は彼自身の個別的な目的が世界精神の意志である実体的なものを含むような人物なのである。全生涯は悪戦苦闘、満身ただ情熱、特殊的なものは互いに抗争し一部が没落する。普遍的理念は背後に控えている。理性が情熱だけを勝手に作動させる。神の本性と人間の本性との即自的に存在する統一が確信されていること、宥和の可能性は単にこのことに存する。必然的な基礎、人間は彼の本質、自由と主体性からして自分が神の内に召し入れられていることを知る。神の本性と人間の本性との統一、普遍性における人間は人間の思想であり絶対的精神の即かつ対自的に存在する理念である。絶対的宗教の思想、内的な理念は〈自己〉、現実的なものが思惟であり本質と存在が同じものであるという思弁的理念である。神・彼岸的、絶対的存在者が人間となり人間が現実的なものとなる。この現実性は自己を止揚し過去のものともなっている。現実性であり止揚された普遍的現実性でもあるこの神は精神、この宗教の内容、この意識、純粋意識の対象である。絶対的存在者が精神であるかぎりで真なる宗教である。神は自己であり人間であるのだから。精神こそ絶対的客体であり真理である。人間自身精神であるが故に人間は自からこの客体のうちに現在し、この絶対的な対象のうちに自分の本質を見出した。疎遠な在り方が根絶され精神の宥和が完現する。神は三位一体者として識られるとき精神として認識される。この新しい原理は世界史の回る枢軸である。歴史は此処に終り此処に始まる。時満つるに及びて神その御子を遣わし給えり。自己意識が精神の概念に属する諸契機にまで高まり、これら諸契機を絶対的な仕方で把えようと欲求するに至った。宗教とは一般的概念としていえば絶対知の意識である。宗教を神の自己意識として規定した。自己意識は意識として対象をもち対象の内で自分自身を意識する。神は自己意識であり自分とは別の即自的に神の意識であるところの意識の内で自己を識る。この意識が神と自分との同一性を識っているので神は対自的にも同一性である。神とは自分を自分自身から区別して自から対象となりつつ区別のうちで端的に自分と同一であるもの、このようなものとしての精神である。この概念が今や実現される。意識はこの内容を識り内容のうちに自らが巻き込まれているのを識る。神の過程である概念のうちにおいて意識それ自身が契機をなす。有限な精神が神を識るのは神が有限な意識のうちで自己を識るかぎりにおいてのみである、神は精神、彼の教団の精神である。これが完成された宗教、自から客観的になった概念である。宗教は感情と思想が絶対的本質存在に没頭し本質存在の表象を現前化するところに存立する。神は絶対的精神である。神は自分を対象たらしめつつ対象において専ら自分自身のみを直観するごとき換言すれば自分の他在化のうちで端的に自分自身に復帰しており自分自身と等しいような純粋な本質存在である。神は絶対的に神聖である。彼は端的に自分自身の内で普遍的な本質存在だからである。絶対的な神聖威力である。彼は普遍的を現実化し個別を普遍のうちで保持する、彼は宇宙の永遠なる創造者だからである。彼は知恵、善、正義、個別を普遍の元へと永遠に連れ戻す。悪は神からの疎外、これが生ずるのは個別が己の自由に基づいて自分を普遍から分離脱して絶対的に対自的〔自存的〕であろうと努める限りにおいてである。個別的存在者の自由は即自的に神的な本性をもつ、この認識が人間に神の恩寵を確信させ把握せしめる。神と世界との宥和が成就される。神への奉仕は自分と神との一体性を実現すべく、この一体性の意識と確証を得ようとして努めるところの神に没入する一定の仕方、思想と感情を以てする没入である。彼の意志と神の意志との合致を彼の現実の生活の心情と行為の在り方を通じて証明する。人間と神との即自的に存在する統一が、精神の感性的形姿、人間の形姿で現れる。かくてキリストが現れ給うた。神は主体であり現象する主体性としての唯一不二の個体である。絶対的宗教においては絶対精神は自分自身そのものを顕示する。神の絶対的理念が真実態において意識に上り、人間の本性が神の子という直観のかたちで与えられ自分自身が召し入れられているのを見出す。人間は、それ自身としてみれば有限者であるが同時にまた神の似姿、無限性の源泉を自分自身のうちに持つ。人間は自己目的、無限な価値と永遠性への使命を自分自身のうちに持つ。人間は彼の故郷を超感性的な世界、無限な内面性のうちにもつ、宗教的自己意識自覚である。人間は彼の自然性を超克したときに初めて精神的存在者として現に転成する。この超克は、人間の本性と神の本性とが即かつ対自的に一つであること、人間が精神である以上、神の概念に属する本質性と実体性をもっていること、統一性の直観。絶対的存在者がそのような姿をとって啓示されるこの個別的人間は個別者としての自分に即して感性的存在の運動を遂行する。彼は直接的に現在する神である。現在するが故に彼の存在は過去に移行する。思想の地盤が獲得され神が無限なる一者として思想において識られることになった。
