人工衛星と繋がったから、地球の現実の重力の外へ！！
この枠を中心核に持って行って、中心核を枠に持って来て、嵌め填め嵌り填り込むだけだ。中心核と枠とを一つに統合一致する。彼女が欲しい！！好みの女性に良い感じを向けられたことも何度かはあったんだ、取り戻して全部抱き捲る！！それでも常人には想像を絶する世界に生きて居る。永遠の対立が問題であるときには、調和は無限の彼方にある。人間の純粋な理念である統合と調和、情感的な憧憬の交互性、即ち、精神の子らの自然への努力、自然の子の精神への努力は、より高い統一が人類の目標であることを示しています。導師は自分の心を畏敬の深みに誘うことによってのみ、自分の精神を認識の高みへ引き上げる力を獲得することができた。恭順の門を通ることによってのみ、霊の高みへのぼる。正しい知識は、それを敬うことを学んだときにのみ、自分のものにすることができる。我々が意識の中の世界と人生についての思考内容を讃美、敬意、尊敬で充たすような場合、我々は特に急速な進歩を遂げる。このような瞬間に今まで微睡み続けていた諸力が目覚める。まずはじめは人間の心情生活全体に、尊敬するに値するすべてのものへの畏敬、という基本的な気分が照り輝く。このただ一つの基礎感情が魂の生活全体の中心点になる。太陽がその輝きを通して生あるすべてのものに生気を与えるように、畏敬の念が神秘学徒の魂の営み全体に生気を与える。認識活動もまた魂の行為なのであり、感情は魂にとって、肉体にとっての栄養分に等しい存在なのである。魂の養分としての尊敬、敬意、畏敬などの感情は魂を健全で力強いものにし、特に認識活動に活力を提供する。内面生活の営みをますます充実させていく。大自然の永遠の言葉を感じ、創造の神秘にふれる。外界における万象のことごとくが壮麗な神性の輝きに充たされている。まず自分の魂の中に神性を見出す。自分の自我を世界に向って開く。彼は夜空の星を仰ぎ見て、万物を創造された神へと飛翔し、深い観想に入り、大きな慰めと霊的力を神から頂いた。幾千もの愛の喜びもて、貴方の永遠の温みをつたえる、聖なる感情が私の心に迫る。すべてを愛する父よ、高まりゆきて貴方の胸に抱かれん。彼自身の万物への帰依が、神性を、一切を貫いているものと感じさせた彼の汎神論に現れている。生物学的・医学的なものは、もともと人文主義的な関心、即ち人間と人間の美しさに対する関心と、従ってまた芸術と、完全に混和したものであること、彼にあっては、芸術が人文主義的な一部門と考えられていること、そして人間の探求、人間の知識、人間の能力のあらゆる部門、分野が、人間に対する関心という一つの同じ、大きな切実な愛にみちた関心と願望の陰影や変種として現れていることを知るのは、まさに注目すべき重要なことです。今私は自然を眺めるように芸術を眺める。私は人間の作り出した最高のものについて、完全な概念をも獲得しています。これは長いあいだ求めて努力してきたものでした。それで私の魂はこの側面からも一層仕上げられ、更に広い分野へ眼が向けられます。今や私にとっては建築や彫刻や絵画は、鉱物学や植物学や動物学と同じようなものです。結局私たちは、芸術活動においては、自然がその作品を創るにあたって用いるやり方を、少なくともある程度学びとった時に初めて、自然と腕を競うことができる。人間の形姿は、美しい分かちえない全体として生き生きと波うちながら私たちの眼の前に動いているものを、本当に観察し模倣しようと思うならば、その内部を赤裸にし、それぞれの部分を区分けし、それらの結合に注意し、様々な差異を知り、その作用と反作用とに通じ、隠されたもの、安定したもの、現象の基礎になっているものを心に刻みつけなければならない。芸術は他の諸々の部門と同様に、人文主義的な一部門、哲学、法学、医学、神学、自然科学や工学さえも、悉く同一の高度な興味深い問題の変形であり変種である。私たちはこの人間という問題に無限に多様な態度をもって臨める。人間の姿形はそれらすべての総和であります。人間の一切の知識と行為の究局であり我々の知っている一切の初めアルファにして終りオメガなるもの、であります。自叙伝と教育・・有機的なものとの共感の最高の対象である人間の形姿という理念が、私たちの前に浮かび上がってくる時、この二つの概念は再び繋がり合います。二つの衝動は融け合って人文的な統一体となります。人間は自分の似姿を見れば、自己の改善しなければならないところを自覚する。改善と完成化が必要であるというこの感情、即ち自分自身を課題として道徳的、美的、文化的義務として感じるこの感情こそが、自叙伝的教養小説、発展小説として主人公のうちに客観化され、一箇の「汝」として対象化され、この「汝」に対して「我」である詩人が指導者、形成者、教育者となる。この我と汝とは一つのものであるけれども、同時に「汝」に優越するものです。かつてゲーテが、自分自身の中から創り出したヴィルヘルムを、暗い衝動の中を蠢いているこの善良な男を父親のような優しさをこめて「哀れな犬」と呼んでいますが、それほどまでに優越するのです。自分とその似姿に対する感情のこもった言葉です。
