今となっては、もう何もかも全部を預け与え委ね任せ委任するだけだ。お手上げだ、匙を投げた。またしても転落人生・・全部の時期あらゆる頃あらゆる時の枠が集まり合わさったのが今の枠、全部の過去の枠が今の枠、枠は枠の軌跡道程に中心核に成り俺は全体に成る、それが生きる目的であり、その為に生まれて来たのだ。俺は全時空間に充満遍満し更には時空間を超越して広げ広がっている。俺こそが時空間そのものでもある。全部の過去が今に来る、軌跡道程が今に来る、今という一点こそあらゆる時という全面である。力も気もエネルギーも垂れ流し状態、流れ出し流出し続けている。俺の枠の濁った心も16歳に中心核に飛ばし飛び続け繋げ繋がり結び付け付き一つになる。Internetがあるし、どんな分野、あらゆる分野、全分野も体系化して理解できる。カルシウムのお菓子を食べ過ぎたのが１６才、1995年の２月、あの病院に連れてかれたのが５月、凄まじい速さで転がり落ちていたけど、あんな病院なんかに連れてかれたのもショックでした。そういえば、あの病院に初めて連れてかれた時は砂糖沢山飲んで筋肉が沢山付いて筋肉太りしてたな・・今はどうかな？人生で最も辛く苦しい思い出だ。若者よ、私は御前にいう、おきよ。永遠の生命の湧き出る泉である言葉に耳を傾けた。経営の優劣強弱を論じる経営学は、得手不得手の顕在化というトレンドの影響を受ける。経営学が福沢諭吉翁の所謂実学、つまり実践者に鍛えられ発達する学問である限り、それは「世界に通用する強い実践者」が犇めく「日本の得意分野」で発達すると考えるのが自然だ。一般に、強い実学は強い実践に鍛えられて育つ。競争がグローバル化する→比較優位のある特異領域が顕在化する→実学たる経営学は自国の得意技に引っ張られて発達する→経営学はむしろローカル色を強める。新しいビジネスが始まり、瞬く間に世界化し、巨大な市場を形成するようになった。世界を席巻する。人間は体と魂と霊から成っている。体を通して、人間は一時的に自分を事物と結びつける。魂を通して、人間は事物が与える印象を自分の中に保持する。そして霊を通して、事物自身が自ら保持しているものが彼に啓示される。人間をこの三つの側面から考察するとき、はじめて人間の本性の解明が期待できるようになる。なぜなら、この三つの側面は、人間が三重の異なる仕方で、世界と同質の存在であることを示しているからである。体としての人間は、感覚に対して外から自己を現すところの事物と同質である。外界の素材が、この人間の体を構成している。外界の諸力がその中にも働いている。そして人間は、外界の事物を感覚によって観察するのと同じ仕方で、自分自身の身体的存在をも観察できる。人間の体的存在は、万人の眼に明らかである。人間は魂の存在を、人間自身の内部に自分の世界として担っている。しかし霊によって、外界が高次の仕方で人間に示される。外界の秘密が明らかにされるのは、人間の内部においてであるが、しかし人間は、霊的存在として、自分の外へ出ていき、そして事物自身にとって意味のあることを語らせる。人間は星空を見上げる。魂が受ける感動はその人間のものだ。彼が思想として霊において把握する星々の永遠の諸法則は星々自身に属している。その体を通して、彼は身体が知覚するところの世界に属し、その魂を通して、彼自身の世界を構築し、その霊を通して、この両者の及ぶ以上の世界が彼に啓示される。最初から神が我々の世界をそれがあるべきようにした。神が今この世界を維持している働きは、神が世界を創造した働きと全く同一であるということは確かであり、それは神学者のあいだにおいても一般に受け容れられている見解である。神が最初この世界に混沌の形だけを与えたとしても、自然法則を設定し、自然をしてその常のように運動させるために神が自然に協力を与えた以上は、ただそれだけで、純粋に物質的なものはすべて時の経過と共に現在我々が見るようなものになることができたと、信じることが出来る。そしてこれらの物質的事物の本性は、それらのものがこのようにして段々生成するものであると考える時の方が、それを全く出来上がったものとして考える場合よりも、遙かに考えやすい。本当に良く出来た顔と身体だ。人間の巧智が、各動物の体内にある多数の骨、筋肉、神経、動脈、静脈、その他すべての部分に比べ僅かの断片の使用で、どんなに多種多様の自動機械すなわち動く機械を作ることが出来るかを知り、この肉体を、神の手によって造られ、比類のないほどよく秩序立てられ、かつ人間が発明できるどんな機械よりも見事な運動をそれ自体の中に備えている一個の機械として見る。真の人間を構成するためには、理性的霊魂が身体と結合し、より緊密に合体している必要がある。真理の認識に到達するのを妨げるありとあらゆる困難や誤謬を克服するように努力することは、まったく戦うことであり、自分の計画を仕舞まで成し遂げる為には、戦闘に勝利を収めればよい。
