今中心核全枠も時空連続体である。
自己鍛錬の課題は山積しており若者らしく高い志と情熱をもって実行する。人生が一層輝きを増す。グローバル化する世界の中で。何とか自身で鍛え込み抜き上げ変質させ超自然的力で優れマトモになってくれるのを祈るだけだ。世界自分史上最も優れた個人単体枠として脳も全身体の全能力も最大限に極限界を突き抜け越え破って異常に高まる。そのもの全体全面から俺から中心核として今枠の脳も心も身体も16歳から軌跡道程から全時期全枠から完全回復賦活性化している。今枠の脳も心も身体も中身ごと中心核、16歳から軌跡道程から今中心核全枠の脳と心と身体、絶対圧倒超人的存在である。脳内成長因子も無限、脳も16歳から16歳以上である。他人絡みの後悔すべき汚く恥ずかしい過去を推測の嫌な部分まで良い様に書き換えたい、人生最重要課題の一つだ。全体の時空間的な歴史の流れを知れ感じられる。こういう思想・趣味を持てば、極めて簡素な生活の中に極めて豊富な風雅な生活を創造することが出来る。本当に人を知り良いものを学んだら知り学ぶほど謙遜謙虚になるべきだ。人生、寄の如きのみ。一種の無常観の中からまた自由で豊かな色々のものが生まれる。無から限りない有を生じる。奥深くには虚無的な人生観、良い意味の無常観虚無観を持っている。満足とか得意とか誇りとか名誉とかそういう主観よりは、極めて自然で余裕があり一抹の寂しさを持っている。大丈夫当に雄飛すべし。安んぞ能く雌伏せん。大丈夫は雄々しく飛べ盛んに活動せよ。鳳は羽を収めて大人しくしておっても志は広い大空にあり、大人物はどんな地位や生活にあっても理想と気迫と大変な能力気力を持っておる。宇宙内の事、世界のことは努めて担当実行するだけの努力、また打算とか煩悩を捨て脱却する。人間とは命の存在、絶対のもの、天地万物の創造、変化・造化の働き、必然絶対の第一原則、運命という。運命とは天地自然のもの、存在するもの一切はこの支配に服する。そこですべての存在、命をもって動くものを生命という。生きとし生けるものは皆意識を持ち意識の発達したものが心、更に突っ込めば魂、つまり生命は性命、心、魂を持ったもの。そういうものを超越した天地創造の中の決まりきった一つの存在、天地自然と共にあるということで宿命ということになる。生命は運命であると共に宿命である。宿命は高等生物になればなるほど心が発達して必然的に「いかにあるべきや」という義の問題が生じてくる。これを義命と言う。人間の生命は宿命であると同時に意識精神が発達して義命というものを宿す。天地の創造化に参じて、その命を造り義命を立てていく、これが立命。自分はどんな運命、見方を変えれば宿命によって「かくのごとく存在しておるのか」常に新しく創造進化の道に従って如何に実践していくか（義命）、それを如何に創造していくか（立命）、運命の中に宿命があり義命があり立命がある。運命は宿命であると同時に義命であるから立命することができる。人どこまでも真理に従って生きる、道義の絶対的なものに従う。本当の学問というものは一つの言葉に無限の意味が権威がある。それが真理で義である。真理に従って行動する。宇宙開闢以来、治世の法あり傲世の法あり維世の法あり出世の法あり垂世の法あり。才人は世を経し能人は世に取り暁人は世に逢い名人は世に垂れ高人は世を出で達人は世を玩む。法華経の十如是は繰り返すから百如是千如是にもなる。不思議な因が縁によって果を結び、その反動反作用が報で、相、性、体、力、作、因、縁、果、報が本にもなれば末、末が本になって末になる。相待つ世界、すべては縁から起こる縁起、縁尋と言う。在来の生活・慣習・意義を改めていく改命・革命、命という一字から人間を探求していくと道徳にも政治にもあらゆることに展開していくことができる、命の中に含まれている因果の関係を数という、命数、本来の意味は因果の関係の複雑微妙な理法を言う。運命とは無限の創造であり進化、造化、真の命とは宿命観より立命観、命には義命・意義がある、運命の義を知り運命をリクリエイト再創造していく。十如是はそれを仏教的に教えている。名を成すは毎に窮苦の日にあり事を敗るは多くは志を得るの時に因る。非常に窮苦の日に修行して名を成す。成功するか否かは窮苦の日に分かる。失敗は大抵得意・得志の時による。うまくいっていい気になる、そこから失敗する。成名毎在窮苦時　敗時多因得志時。因縁果報、すべては縁から起こり因が果を結び果が更に報をつくる。それに従って世情、世の中の情、真がある。人間には知と情、知とは頭の働き主として理性の働き、情は人間の精神をそのまま表現するもの。理は物事を分析する、法は情を正しくし情を正しくすることによって世縁、世の中がまた正される。才知鋭敏の者は宜しく学問を以てその躁を摂むべし。気節激昂の者は当に徳性を以てその偏を融すべし。才も知も腕も立つ、非常にダイナミックな動的なもの。才人の多くは放、当に正を以て之を収斂。須く内を精明に外を渾厚に、生成的徳量となる。天地万物を生成化育するのは造化の働き、その造化が万物を生みなす働きを自分の精神、自分の体に体現することが徳量、それでこそ均衡が保たれる。事に窮し勢い縮まった人は初心に立ち返り振り出しに戻る。色々仕事を仕上げ業績も円満にやった人はその末路を見る。心上の本来を完くし得て方に心を言了すべし。世間の常道を尽し得て出世を論ずるに耐う。心上本来の仕事、心に抱いた理想とか主義・目的を完結させて初めて心と言える。世間の常道を充分実践しえて出世を論ずるに耐う、世の中を出る超越する。品格の高い人は胸中が洒落で如何にも雨上がりの日光に輝く草木に吹き渡る風のようだ。心中の事、眼中の景、意中の人。運命、絶対的な作用、法、真理、時勢、運勢、色々の勢い、一つの方向に向かって絶対的な力をなすもの、それに一つに乗ずる、命というものをよく知っているからであります。有尽の身躯を看破すれば万境の塵縁自ずから息む。無懐の境界に悟入せば一輪の心月独り明らかなり。無懐の境界に悟入す、天に一輪の名月がかかるように胸中に悟りが宿る。聖賢を骨とし英雄を胆となし日月を目となし霹靂を舌となす。神人の言は微、神のような人の言は非常に微妙だ。聖人の言は簡、複雑なるものが統一されて単純化、非常に洗練されている。賢人の言は明、はっきりしている。愚人の言は多、小人の言は妄。
