今日が我が人生最高の一日になる事を祈る。
今日は運勢最高の日、今までの努力が実って大きな目標を達成する。全部の−も埋め埋まって＋に転じる。自分であるという意識も枠から外に出て行く。自分であるという意識も枠よりも16歳に中心核に全体全面にある。16歳が中心核が全体全面が自分である。16歳から今が生まれ派生した。枠ごと纏めて全体に一つだ。寝る以外は全部勉強、一日１２時間以上、参考書を十冊くらい覚えただけ、簡単な事です。また16歳で大検の勉強して超速読してた時の圧倒的な脳のパワーを感じる。あの雨戸を締め切って力をセーブしていた頃の心躍る気分である。ちょうど今、曲がり角に来ている。もう一度、光輝く為のイノベーション（変革）が必要です。またこんな男の人に、何かドラマの一場面、まるで映画のワンシーンみたいだね。神は細部に宿りたもう。彼の仕事を外部から観察すると、彼の精神は明らかに神の宿る細部の方向に向かっている。神とは真実の比喩であって、事実とか事件あるいは人物の中にある、あるいは事物の関連の中に結晶している真実を意味する。神秘的体験、大いなる畏怖の瞬間、とても強烈な幸福感、歓喜、恍惚、至福すら感じる瞬間を体験した。このような瞬間は純粋であり、積極的な幸福感に満ちている。あらゆる疑惑、恐怖、禁忌、緊張、弱さが追い払われる、今や自己意識は失われる。世界との分離感や距離感は消滅し、世界と一体であると感じ、世界に融合し属し、世界の内側に見入る。究極の真理、事物の本質、人生の秘密を、ヴェールが剥がされたかのように知った。この感情を〈これだ、これだぞ！〉と記した。あたかもその地にやっと到達したかのように、また元来人生がどこかの場所へ達するための抗争や努力であって、この地こそが到着点であり、これこそが地にある実感そのものであるかのように！究極的な満足を与える。至高体験は、一種の全き悦びの噴出へ、純粋の幸福の瞬間へと向かう。すべてが完璧に仕上がり素晴らしい夜となった。彼は突然至高体験の大波に襲われた。人間の偉業とは、精神の、知性の、想像力の世界を創造し、それを地図上の現実の国々と同じくらいに実在のものたらしめることにある。人間を芸術や科学へと導く非常に強い動機の一つは、未完成の苦しみや夢を手に、日常生活から逃避することにある。この欲望は、喧噪と不自由の環境を離れ、高山の静寂に向かわんとする憧れにも比する。人間の生命力は超人的段階に向かって増大する。世界の有意味性の感覚が深くなるほどに、意志は力強い持続性を得る。意志の努力が増大すれば、連鎖反応的に意味感覚も増大する。至高体験とは意味の爆発であり、意味は意志を呼び起こし、意志は逆に意味の遠い地平へと向かう。至高体験とは意志の強度に正比例している。一連の自己イメージに基づいて、自己覚醒のより高い状態へ登ろうとする。何かなりたいと願う形の人間のイメージを想像し、イメージと共に生きようと努める。偉大な人間とは自分の理想の演技者である。自分の中により力強い生命感を感じた。彼は、自分を緊張と警戒の高い状態に置いてくれる状況を求め、精神集中の内的筋肉を発達させようとした。この筋肉がある意味での内的自由を産み出す。至高体験が意味の氾濫であり外から内へと流れ込む。精神疾患とは一種の記憶喪失だ。患者は自分の力を忘れてしまっているのだから。患者に現実との接触を再生させる。完成された形態は既に出来上がっているのだ、後はそれを取り出してやるだけだ。体系的に番号付けられた命題から成る，極度に凝縮されたそのスタイルと独創的な内容は，底知れぬ魅力と危険に満ちている。限界は言語において引かれうる。世界は成立している事柄の総体である。世界は諸事実によって、そしてそれが事実のすべてであることによって、規定されている。論理空間の中にある諸事実、それが世界である。世界は諸事実へと分解される。成立している事柄、すなわち事実とは、諸事態の成立である。事態とは諸対象の結合である。事態の構成要素になりうることは、ものにとって本質的である。事実が現実に起こっている事柄であるのに対して、事態は起こりうる事柄である。事態（可能性、現実性）事実（複合性）、事実は成立している事態を複数集めてもよい。事実とは私が世界において現実に出会っている所与であり、分析の出発点となり、事態とは分析の結果として要請されるものである。私が対象を捉えるとき、私はまたそれが事態のうちに現れる全可能性をも捉える。すべての対象が与えられるとき、同時にすべての可能な事態も与えられる。対象はすべての状況の可能性を含んでいる。事態のうちに現れる可能性が対象の形式である。複合的なものについての言明はいずれも、その構成要素についての言明と、その複合されたものを完全に記述されたものを完全に記述する命題とに、分解されうる。対象が世界の実体を形づくる。実体とは、何が事実として成立しているかとは独立に存在するものである。実体は形式と内容からなる。空間、時間、そして色（何らかの色を持つということ）は対象の形式である。対象とは不変な存在し続けるものである。対象の配列が変化し移ろうものである。事態において諸対象は特定の仕方で互いに関係し鎖の輪のように繋がり合っている。成立している事態の総体が世界である。事態は互いに独立である。現実の全体が世界である。我々は事実の像を作る。像は現実に対する模型である。像は現実に結びつき到達する。真なる思考の総体が世界の像である。
