今日明日中には竹内を殺して死ぬしかない、彼女が欲しかった。
完全に自己自分自身を大きく遥かに超え越え超越した今以上の唯一無二の絶対圧倒超人的存在になる。とりあえず名古屋大学付属病院に相談して最終的に駄目になった時点で飛び降りよう。16歳丹田から軌跡道程正中線から今中心核史上全枠から【そのもの全体全面まで俺】そのもの全体全面まで俺の中で内で内部で綺羅星の如き史上全枠だ。超一流の更に上を行け！！失った何もかも完全部今枠脳心身体にある。万能細胞か其の前段階類似段階たる骨髄幹細胞が 元々あった組織を賦活性化する或いは補完する。 俺の枠の本質からして宇宙への字も骨髄移植培養増殖からの自己投与もＳＥＸ子供作りも絶対に出来る筈だ出来なきゃならない。月への願いメッセージを送って骨髄移植して自己投与していれば？またしても失敗した？これからやるんだ！！心身の関係し合う区域は一つの領域全体、つまり感情による認識の全領域となる。どんな哲学史も哲学者による自らの研究主題の個人的捉え直しである。それは主観的な捉え直しであり学説であると同時に哲学の営みであり叙述であると同時に反省の行為、経験的諸関係や現存する資料を説明すると同時に真理を取り出す。彼の真理は、彼が書いたものの全体と彼の生き方とが、彼の表現しようと努めた真理の直観によって一つに結びつけられたもの、彼は心身の合一の問題を自ら課した。哲学の歴史の客観性は、そうした主観性の行使のうちにある。或る体系を理解する手段は様々の問を問いかけ、諸々の体系はそれぞれの差異をもって立ち現れ、我々の問いが作者たちが自らに課していた問いと同じかを証言してくれる。哲学史とは様々の体系との対決、諸体系とのコミュニケーション、剰余こそが人間同士の対話を哲学史を支える。観念はすべて何ものかの表象である。そのことが観念を光たらしめ表現的で派生的ないし不完全な存在とする。観念のうちには無がある。私の手は無限数の無を含んでいる。観念は一つの全体を地としてその上に浮き出て来る、この全体からの控除として現れる。諸観念の背後に現れるそれ自体で知解可能な叡知的なもの〔神〕が存在する。神は観念なしで把握され諸観念を目指す認識活動の全体は、我々と神との接触にこそ依拠している。私の自己意識、私によって思念されている諸観念の認識、神の認識、神は本来、単純な直覚的証明による。自我自身と諸観念と神についての三つの経験を一挙に包含している。神において見ること、我々は神が世界を創造しようと意志されたとき御自身の内に見ておられたものを見る。我々はあらゆるものを神において見る。観念も神自身の観念、我々が物体的事物を知覚するのも神のうちにある叡知的延長に与ることによって。観念はあくまでも魂の変様、その都度の意識内容だった。神こそが真の原因であり能動的であり、人間の魂といえども受動的なのである
