今枠が十字架のように中心核だ。
全部の過去は今に生きて居る躍動し連続している、全部の過去の枠が今枠に生きて居る躍動し連続している。そのもの全体全面も俺も中心核も軌跡道程も16歳も全部の時期あらゆる頃あらゆる時の自分も何もかも全部が今枠に生きて居る躍動している。枠に繋がっている何もかも全部枠にも生きて居る躍動している。そのもの全体全面から俺から絶対圧倒超人的な力で今枠ごと中心核に移動し矯正する。枠ごと全体全面まで俺という独り一人の自分自身である。積み重ね上げた軌跡道程も広げ広がり続けた領域も俺の枠のもの、莫大なる財産だ。今枠に時空間的に時空間を超越して中から内から内部から内側から外から外部から外側から繋げ繋がり何もかも全部が今枠に生きて居る躍動している。今枠が究極完全完璧なる１００％の理想的完成形たる中心核だ、そのもの全体全面まで広げ広がり切った俺だ。個体としての今中心核枠の持つ有する力もパワーも能力もエネルギーも無限に無限大∞に絶対圧倒超人的に巨大強大絶大甚大強烈猛烈壮烈激烈だ。個体としての今中心核枠の16歳丹田から軌跡道程正中線という一本の太い芯が通れば唯一無二の絶対圧倒超人的存在として激しく大きく安定成長出来る。完成で終わる？自力も他力も全力本願だ。羨望は幸福のイメージ、幸福は個人にとっての過去の救済のイメージを含む。現在が抱く幸福のイメージは自分の世代の直接の過去または過ぎ去ったばかりの現在から来る。過去から意味を汲み取る。嘗て自分が付き合った人々や接触した事物は、際限ない過去の人々や接触した事物へと繋がっている。今自分が呼吸する空気の中に、ずっと古い遥かな時代の空気のそよぎがあり、古い人々の声が響いている。約束とは幸福の約束、過去が要求する救済または解放の約束（契り）である。歴史的連関の結果としての現実が、この約束を実行する能力そのものである。幸福とは、過去を救済し解放する約束を実行することにある。歴史哲学は過去の救済の哲学である。過去から汲み取られた意味こそ歴史の概念である。自然と人間、人間と人間の間の対立、相互に闘争し自然と格闘して労働している。解放ないし救済は言説による真実の開示、概念（意味）と対象（本質）との対応（一致）である。理論的言説における真実の開示と現実世界における対立の解消とは同時的に実現する。これが極限において、ありうべき終末において捉えられる解放救済の理念である。神学的用語では和解ないし宥和と呼ばれる。歴史の意味（または目的）とは、対立と敵対の重なりである歴史の決着である。逆説的にも、歴史の意味は歴史の自己止揚（自己廃棄）である。最終審判は、有限な人類が自己の歴史を成就し歴史的存在としての人間を終わらせることである。歴史（的人間）が歴史を終わることに向けて行う努力こそが救済の仕事になる。歴史の完成すなわち終わりに達したとして、人類が経験してきたすべてのこと・事件・生活・経験、すべてが救済され意味を持つ与えられる。すべてが引用され使いこなされる。特定の偏見によって捨て去られ排除された過去のすべての事件・経験・人・物が正当に評価され同時に救済される。森羅万象（特殊には万人）は神の国に回帰する。ストア倫理にも過去の経験の回帰がある。あたかも最後の日に臨んでいるかのように日々を生きる。臨終の人は、自分が生きてきたすべての経験を一挙に一瞬のうちに現前させ、それぞれの事件と経験に意味を与え理解し、そのようにして一切と和解する。最後終末においての、すべての自己の経験の引用であり使いこなしである。闘争の中の洗練された繊細な精神、思考の力を土台にして人間を訓練陶冶し、この訓練を通して思考もまた強化される。人間の行動は企ての目的を持ち目的に合わせて行動を起こし目的を実現しようとする。闘争も行動の一つの形、未来性をもつ目的。闘争の中で形成してゆく闘争者自身の自己形成。独自のモラルの創造、それ以上に、闘争の中の精神の訓練の中で研ぎ澄まされる感覚を通して、遥かな過去の時代の歴史的経験を理解し現在の闘争の中へと引き入れる。現在の闘争のエトスこそが、過去の経験を捉えなおし蘇らせる。現在の経験が過去の経験を、現在のエトスが過去のエトスを呼び戻す。現在からの遡及効果の立場は、実証主義の「あるがままの過去」というイデオロギーの解体を目指している。理念的には、現在の闘争の中で繊細な精神とエトスが働く度ごとに過去の経験の理解を変化させる。現在が過去が向ける顔に向き合い、自分こそ過去から指名されていると自覚するときこそ、過去は表面の過去を超える過去、深部にある過去の真実を現在に対して開き示してくれる。唯我一人であると自覚する瞬間のみが、過去を真実において認識する瞬間である。覚悟の上で自分を過去の引受け人だと自覚する。過去の歴史も廃墟、現在の歴史も廃墟、この山は無限の高さを持つ。この廃墟の中で歴史の天使または歴史哲学者は、破壊された断片を寄せ集める、あるいは断片を組み立てる。そうすることで、過去の「ありえたかもしれない可能な生」「可能態にある生」を現実的なものに変える。可能性とは実現を期待する可能態である。これを現在の中へと取り戻し呼び戻し蘇らせるのが歴史の天使の仕事である。廃墟の破片を寄せ集め組み立てる操作は比喩的な語りであるが、天使の比喩の中にある行動は歴史哲学的認識である。過去の中に可能性を残して復権を期待する人・物・出来事を分析的に見出し見出された可能的事物を概念的に組織して理論的言説に組み立てる。目的を立て（未来性）、その目的に合わせて所与（過去性）を変形し（現在）、また対象の変形のなかで自己も変化させて新しい対象と新しい自己を創造するのが人間の現実的行動である。前進、発展、この進歩の中で亀裂があろうと瞬く間に縫合されて滑らかな連続的進歩に見える歴史を作り出す。未到来の目的（行為の未来的極限）を現在の中に先取りして引き入れ、その目的に応じた企て（計画）を立て、その線で未来に向けて決断する。この行動の中にある時間の三次元構造では明らかに未来が先導する。歴史は未来から到来する。現在はもとより過去も未来によって浸透されている。未来が価値を決定する。特定の思想の型にまで上昇させると進歩の歴史論になる。進歩が人間存在の深部に根付いている。均質とは、過去の現在、今の現在、未来の現在は何時何処でも同一同質である想定を意味する。直線的時間に上昇発展の観念が外部的に付加されると進歩の時間が登場する。時間を直線的に捉えるのは時間を空間化し空間化された媒質の上に今が区切られる。これらの今は常に同質同一である。均質的媒質は無数の現在が宿りに来る真空としての時間一般、それは無際限の広がり均質空間である。均質的で空虚な時間は実質的には寧ろ空間性である。均質空虚な時間像は機械論的世界像と一体の時間意識、無限の延長を認めるなら宗教・神学的な神に通じていく。均質空虚な時間を土台にして人類の上昇発展の傾向、つまり知識と技術の向上が付け加わるときに、近代特有の進歩発展を特徴とする歴史的時間論が生まれたといえる。
