何というダイナミックに躍動感溢れる大きな身体だ。
高所から遠くまで見渡すような眼だ。脳も身体も異常な凄まじい全身疲労、全身全霊全能力を使い切り尽くし果たし枠ごと鍛え込み抜き上げ変質させた心地良い疲れだ。天国の門は開かれた。キリストの栄光に輝く活きが全人類に及び、救いへの道を歩む力を与え、キリストと共に苦しむことを望むようにさせ、遂に復活したキリストの顕現に出会う恵みを受け、神の栄光の国に入る。キリストの復活とは、全人類が、復活されたキリストの活きを受けて救いの道を歩み、キリストの受難を共苦し、復活されたキリストに出逢い、生死の流転を超えて神の真の生命を生き、復活されたキリストの栄光と歓喜を共に歓び味わい楽しみ、全く新しい人間に生まれ変わる。キリストの復活とは同時に人間の復活でもある。このような人間の再創造（復活）がキリストの復活の目的であり、更にその再創造によって、三位一体の栄光の讃歌が全宇宙に響き渡ることこそが復活の最終目的なのである。友のために命を捧げ尽くした御方の愛の活きが宇宙万物をおおい人類の歴史全体を貫き通し、御父の満ち満てる愛の充満が聖霊を通して宇宙に現前し全人類に顕現する。霊操者は、深い復活信仰を腹に据えて創造的な想像力を使いながら、キリスト復活の現場に身を置き、復活されたキリストの活きに全身を披き、聖霊の息吹によって眼を開かれ、力尽き神の御手にすべてを委託し尽くし、キリストの復活の栄光と歓喜に与り、神のより大いなる栄光のために働く者となる。復活の活きは全身にまで及び、復活の歓喜が全身に及ぶ。全身の歓びは深く力強く神のより大いなる栄光のために人間全体を躍動させる。神から受けた数々の恵みを深く悟る。一切の持物はじめ共に私自身をも捧げ、大いなる感動をもって全き献身をなす。主よ、すべてを取ってお受け取りください。私の自由、私の記憶、私の知性、私の意志をすべてお取りください。私の持てるもの、私の所有すべてをお取りください。これらのものを御身は私に与えてくださいましたから、主よ、御身にお返し致します。すべては御身のものですから、どうぞ、御旨のままに、お取り計らいください。願わくは、御身の愛と恩寵をお与えください。私はそれだけで充分です。神がどのように被造物のうちに住んでおられるかを注意深く見る。存在を与えながら無生物の内に住まい、生長作用を与えながら植物の中に住まい、感覚作用を与えながら動物の内に住まい、思惟作用を与えながら人間の内に住んでおられる。私を存在させ生かし感じさせ考えさせながら私の内に神が住んでおられる。そして私を神聖な威厳に満ちた方に似せ、その似姿に創られながら、私を神殿とされて住んでおられる。神が地上の万物において、どんなに私のために活動し労働しておられるかを省察する。実に神は労働する者のように振舞われる。天、無生物、植物、果実、家畜などを存在させ保持し生長させ感覚作用などを与えられながら、神は労働する者のように振舞われることを省察する。それから私自身の裡に感受したことを深く省みる。すべての善きものと賜物とが上から降ってくる。例えば、有限な力が至高なる無限の力から降ってくるのを見る。また、正義、善、慈悲、憐れみなどが上から降り注がれるのを見る。霊操者の全身心の浄化完成、その成果によって咲き出る華である。歩んできた道の終局に当たって、これまでのすべての霊操で目指された意義をもう一度蘇らせ、それらがすべて神の愛から出て神の愛を目指すものであったことを自覚する。同時に愛による神との力働的な相互譲与が達成される。この達成こそ霊操の究極目的である。日常生活において神との親しい交わりを保ち、常に神と相互に譲与し合う。日常生活の活動の真只中で神との一致の中に生きる。活動と観想との一致、活動における観想、歴史上画期的な意義ある出来事を指す。一にして三位なる神が創造と救済の活きによって全人類になさっている出来事のみに霊操者の霊的眼を集中させる。神の愛の夥しい行為が列挙され暗示されている。神は外から恵みを与え被造物に内在し私のために労働する者のように振舞われる。霊操者は、万物に内在し私のために働く神を体験する。愛は言葉よりも行いによって示される。神は自己譲与するほど我々を愛してくださった。所有物、全存在、身心全体を神に譲り渡す。霊操の冠である観想に達した霊操者は、三位一体の最も力働的な活きの中におり、聖霊に満たされて、その息吹のままに自由に観想するならば、最もよく三位一体の内的生命の躍動の中に入る。今までの霊操では、キリストを通じて我々の中に働く主なる神の活きが中心であった。創造と救済の歴史における神御自身の純粋経験へと重点が移行した。神は霊操者と全く一体化する。神の活きと常に一体となって活動する。
