偉大な人間達の長い系列を通って、就中際立っているのは偉大なシュライエルマッヘルと巨人的精神のヘーゲルだ。古臭いカント哲学は棄て去って遥か前方に展開さしてしまっている。超越的認識というのは、経験の一切の可能性を越えて、物の本質を、即ち物がそれ自体においてあるがままの姿において規定しようと努力する認識のことだ。内在的認識というのは経験の可能性の限界の内部にとどまり現象について語る。個体は真実の究極の本質の単なる現象である。現象は時間という形式の中で展開され始めも終りもある。君は一切、君の生涯は時間の内にあり本質は永遠の内にある。快適で優秀で完全で無比な個性、神は神にして余は余なり。偏見に捉われている個体はかかる仮象に執着してはいるが、しかし反省がこの仮象を破壊してそれから我々を解放してくれる。激烈に現存在を願望しているものは単に間接的にだけ個体である。直接且つ本来的には、それは生きようとする意志一般なのであり、これは萬有を通じて唯一であると共に同一、現存在それ自身はこの生きようとする意志の気ままな創作、単なる影像、この意志は現存在一般のうちに当座の満足を見出している。この意志が自分自身のこの現存在を実に丹念に見守っている。君が君自身の本質を全面徹底的に認識し、君自身の本質が君自身が生きんとする普遍的意志だと分かりさえしたら、君の心配などは本当に子供じみて酷く滑稽なものに思われる。

