偏執狂だけが生き残る。
経験の真の中心は、我々の思慮を超越せる自発自展的経験の具体的統一にある。命名的判断は概念の作用によって過去の経験と現在の経験とが直に統一して一体系を形成する所に生ずる。それ自身において規範的なる法則とは如何なるものであるか。余はすべて当為ということは己自身を実現しようとする一般者の努力であると思う。内面的に証明するということは我々が直接経験の上においてその自発自展的当為を経験することである。我々に直接である具体的経験は自発自展的なる内面的活動である。一者が己自身を実現する過程である。読書は人生の大きな喜びの一つである。一巻の書を手にしておれば、この喜びはどんな時どんな所でも味わうことが出来る。最も素朴なる立場においては自然は我々に独立に存在し、我々は種々の感覚器官を通じて、それをありのままに認識するのであると考えられる。冒険は深い真実への洞察と結び付いてやがて現実となる。素粒子の統一理論の建設、非局所場は時空的な広がりをもつ素粒子を記述する。その広がりの違いによって素粒子の多様さが示される。非局所場はしたがって現実に存在する素粒子のすべてを決定するような統一的な場となるものと解釈できる。時間空間的な広がりをもつ素粒子の場を求めることは、実は素粒子の背後にある何ものかが与える様々な可能性の結果である。素粒子の背後にある可能性の世界に遡る。素粒子は可能性の世界にある何ものかが現実化されたものと見られる。ずっと若い頃の百日の労苦は一日の成功のためにある。一般相対論では物質の存在が時間空間の構造をきめている。それが再び物質の運動を定める。一般相対論にはそのような可能な天地が無数に用意されている。我々の住む時空世界を決定しているものは素粒子である。時空が素粒子を存在させるという見方からすれば素粒子の多様性を与えるものは、時空の豊かな可能性である。栄光に包まれた外見、寂しい孤独な内面、寂寥の世界を辿る青年の姿が見られる。その時々の気持が自分で感じているよりも遥かにはっきりと跡を印している。時と共に成長し脱皮してゆく生命の中に永久の何物かがあるのを認め得る。集められた諸篇の底にも、ある一つの共通な流れがあって、時を隔ててもなお新鮮、各々の瞬間に最も忠実に生きることが最も永遠なるものへの帰一でもあり得る。普段から彼はそういう事をしているらしいですね。自然自身が自分自身の包蔵する力によって不断にその姿を変えつつある。自然界に起こる諸現象を種々の神の力の顕われと考える。多神教的ないし自然神的思想は、文化の進展と共に漸次一神教的思想によって置き換えられていくのが、多くの民族に共通な過程である。宇宙の諸現象を唯一最高原理、唯一の大神に帰せしめ、他の諸々の神も万有もすべてこれから派生したものとして、第二次的地位に置く。神話は哲学的色彩を帯び、自然現象を抽象的な思弁によって理解し、体系づける自然哲学の形を取る。実在は無限に多くの属性を有するから、ある一つの物に関するあらゆる賓辞は一面的であって、他の観点からすればその反対の賓辞もまた同様に正しいといえる。かくして我々は、すべての物質が僅か九十二種の原子の集りであることを知った。物質の見掛け上の多種多様性は、無数の原子の結合の仕方の複雑微妙なるに起因すると解される。16才が行く先でもあるから他の軌跡道程も枠になる筈だ、若返れる。そうすれなれば人としても人間としても男として超一流になれる。枠も追浜古本屋店員も好みの女性も何もかも全部中心核に引き付け寄せられる。枠の軌跡道程も欲しいものも気も力もエネルギーも何もかも全部中心核にある。天性の美貌と能力を持つ有する天性の自由人である。ただ無我夢中で勉強していた。凄まじい集中力だった。どんなに美しく且つ丈夫そうに見えている理論でも、過去における数多くの実例の示す通り、いつかは新しい事実に直面してガラス細工のように脆くも壊れてしまう運命にある。それなればこそそこに新しい道が開かれ、学問は永遠に若いまま、常に大きく激しく進化成長発達発展し続ける。自然は美しくもまた静かな穏やかなものであった。存在はその根源において常に美しく且つ調和したものでなければならぬ。信念は、この環境の中で知らず知らずの間に出来上がった。頭脳も精神も肉体も分裂しさせ極限まで鍛えに鍛え込み抜き上げた。それでもあの、六浦テラスヤシロで神奈川新聞の勧誘なんかに来たのが元追浜古本屋店員だったとも（声が似てそっくりだった）、ケンタッキー・フライドチキンで変な事を書いた紙を見られたとも（その後の態度が多少おかしかった）、ドンちゃんの脚を踏んで曲がったままにしてしまったとも、限らんし・・御前は余計な勘繰りや勘違いや杞憂することも相当多いからなー・・いずれは全部が望むようにいくことを祈り願うばかりだ。失敗の後悔も全てはその日その時に成就する筈だ。悲願の成就、心願成就、大願成就だ。漸く本人の求めていたもの求めていたところを得られる。深くかつ遠く思はん天地の中の小さき星に生れて。現実は痛切である。あらゆる甘さが排斥される。現実は予想出来ぬ豹変をする。あらゆる平衡は早晩打破せられる。現実は複雑である。現実はその根底において常に簡単な法則に従って動いている。達人のみがそれを洞察する。現実はその根底において常に調和している。詩人のみがこれを発見する。我々は現実のように豹変し複雑に不安になる。現実の背後に、より広大な真実の世界が横たわっている。真実はやがて現実となる。感情は現在の中に過去を生きようとする。記憶は過去を個別に再現する。ある場合には感情が記憶の背景になり、他の場合にはかえって記憶が感情の後から現れる。未来に対する無定型の熱情を有し、熱情がはっきりした形を取り理性によって組織立てられる。賦与された洞察力と、ごく稀に現れる創意とによって、初めて現在の中に未来を見、現在の中から未来が創り出される。心眼が開けてくる。我々の心の働きは、常に外界からの刺激に触発されて初めて撥剌たる活動を続け得る。我々を囲繞する世界、そこに不断に生起する変化、それが眼を通って我々の心に刺激を与える。見える世界、その中心にある自己である。多くの優れた人々の思想、それが活字となって書物の中に残され、広く且つ長く人の心の糧となる。
