全時空間に充満遍満し、時空間を超越した全体となる。また枠からは根こそぎ全部抜かれ奪われ持ってかれ移動してしまった。私よりも本当に完全で、しかもそれ自体の中に、ありとあらゆる完全さをそなえたある一つの本性、すなわち一言でいえば神であるところの本性によって、私の中に置かれた。不完全な私以上に完全な存在、全体になる。私が完全な存在から分かち与えられたものを、自分自身で持っていたとすれば、同じ理由によって、私が自分に欠けていると自分で認めている他の全てのものを持つことが出来たであろうし、こうして私は無限で永遠で不易で全知全能な私自身であることが出来たであろうし、ついには私は神の内に存在すると認めることのできるありとあらゆる完全性を持つことが出来る。すべて合成は依存を証明するものであり、依存は明らかに欠陥であることを考え合わせて、そのことから私は、世界に何らかの物体あるいは叡智あるいは本性があって、それらが不完全だとすれば、それらの力は神の力に依存していると判断した。こころはかたちを求め、かたちはこころを求める。気になった言葉に出会った時はすかさず取り出して書き込む。書き留めた言葉の多くは読書から。百尺竿頭一歩進めよ。これで十分という点から更にもう一歩努力せよ。そこまで努力して初めて標準以上になる。我々が明瞭かつ判明に心に思い描くところのものがすべて真実であるということさえ、神がある、あるいは存在するということ、神は一つの完全な存在であり、我々の中にあるすべてのものは神から由来するもので、それゆえに真実であらざるをえないのだ。現実的で真実なすべてのものが、完全かつ無限な一つの存在から由来する。最初から神が我々の世界をそれがあるべきようにした。神が今この世界を維持している働きは、神が世界を創造した働きと全く同一であるということは確かであり、それは神学者のあいだにおいても一般に受け容れられている見解である。神が最初この世界に混沌の形だけを与えたとしても、自然法則を設定し、自然をしてその常のように運動させるために神が自然に協力を与えた以上は、ただそれだけで、純粋に物質的なものはすべて時の経過と共に現在我々が見るようなものになることができたと、信じることが出来る。そしてこれらの物質的事物の本性は、それらのものがこのようにして段々生成するものであると考える時の方が、それを全く出来上がったものとして考える場合よりも、遙かに考えやすい。本当に良く出来た顔と身体だ。人間の巧智が、各動物の体内にある多数の骨、筋肉、神経、動脈、静脈、その他すべての部分に比べ僅かの断片の使用で、どんなに多種多様の自動機械すなわち動く機械を作ることが出来るかを知り、この肉体を、神の手によって造られ、比類のないほどよく秩序立てられ、かつ人間が発明できるどんな機械よりも見事な運動をそれ自体の中に備えている一個の機械として見る。真の人間を構成するためには、理性的霊魂が身体と結合し、より緊密に合体している必要がある。真理の認識に到達するのを妨げるありとあらゆる困難や誤謬を克服するように努力することは、まったく戦うことであり、自分の計画を仕舞まで成し遂げる為には、戦闘に勝利を収めればよい。
