全部の時期あらゆる頃あらゆる時の枠の全部の枠の全枠の時空連続集合体である今中心核枠こそ種から根から茎から幹から花実から枝葉末節である。今中心核枠は中心核は今枠は種から根から茎から幹から花実から枝葉末節まで、大きく高く強く逞しく美しく激しく若く創造変革新的に進化成長発達発展し続ける。今日中に枠も中心核に完全に取り込まれる。16歳丹田から全中心核枠から全体全面まで俺に今なっていること！！16歳への一点集中と全体への全面展開、今日中に終わらせ終わる。寝て起きたら今日今この瞬間にも16歳から全中心核から全体全面そのものに成っていること！！成っていなければ死に消え去っていること！！枠自体造化と一体、道に一つである。武術は氣勢を貴ぶ。故に氣を練ること久し。今其氣、豁達至剛にして天地に充つるがごとし。敵を脚下に踏み、先づ勝て然して後進む。自分の精神・気魄が充実して天地に充つる。敵を脚下に踏みつけて気勢で相手を圧倒し進む。変化に自由自在に応じる。所作が自ずから湧き出て来る。無の中から自然の技が出て来る。我如何に為すべきや、という道に随って行動するのが義、その義の行動を段々集めてゆく、即ちその経験を積んでゆくのが集義、そうしてゆくと次第に内面に精神的道徳的力が充実して来る。これが所謂浩然気、観念的に考えて形だけを真似るのが義襲、模倣です。浩然の気が養われ勢に乗じて剛健となる。孟子の浩然の気の方は、大江大河の常に洋々たる流れの如きもの、気に任せて圧倒してゆく様な気は一夜の洪水のようなもの。生を忘れ慾を忘れ勝負さえも必死で無心になり切っている。故に其の志は金鉄の如し。道器一貫の儀なれば所作の中に至理を含めり。無心にして自然に應ずるのみ。万物を創造化成し変化してゆく造化の働きを、我々の実践的立場から道と言う。道は創造自体である。創造変化の働きによって造られるもの、創造主による創造物を器という。何等かの目的を以て形づくられたものが器であります。道は限り無く融通無碍、器は道によってあり道は必ず器を伴う。必要に応じて無限に器を造ってゆく。道器は本来一貫、道に即してこそ器、道に即して千変万化の器用をなす。所作も器量のあらわれ、至れる理、即ち道理から出て来る。だから所作の中に深い理が含まれている。人間の気というものは肉体を通じて発するエネルギー、豁達なる時は物に応じ物と一つになり、少しでも意識的にやると気の所作になる。ただ無心で自然に応ずる。造化とは人間の意識から言うならば無思無為、無意識で森羅万象に充満している。この道理を知って剣術を学ぶ者こそ道に近い。心象共に忘れて無事なる時は和して一なり。此心無事なる時は世界は我が世界なり。皆我が心より苦楽得失の境界を爲す。心と形と共に忘れて静かに澄み切って無事なる時は和して一となる。自ら反省して自分自身に求める。自分が自分に反る。真実を得るのは自分、自得、以心伝心、教外別伝とも言う。自得とは自分が自分を掴むこと。聖人の説く心法から芸術の末に至るまで、自得のところは皆心を以て心に伝える、禅宗で言う教外別伝というものである。自分にあるものをしっかりと見つけて自分のものにする。これを仏教では見性と言う。悟りとは妄想の夢から覚めたこと。深淵なる理法、熟読玩味すると空想雲散して真如の月が現れるような感じがする。身振り手振りが一つのリズム、動作が一つの音楽、刀を使うのもリズム。中心核枠の今枠、今中心核枠だ。今枠は過去の全部の枠を代表している、今脳は過去の全部の脳を代表している、全部の過去の今の枠、全部の過去の今の脳、全部の枠、全部の脳、全枠、全脳だ。全部の過去の今の顔と身体だ。全部の顔、全部の身体だ。全部の過去も今という永遠の同時、今枠という永遠の同時の過去の全部の枠、全枠だ。俺は全時空間に充満遍満し全時空間を飛び出し超越している、枠は時空間的世界内存在、そのもの全体全面まで俺の今中心核枠の16歳丹田だ。過去の復活、過去が今に、過去枠が今枠に、過去脳が今脳に、過去の顔と身体も今の顔と身体に、一つになっている。今中心核枠は全部の過去の枠の全部の枠の全枠の時空連続体、今中心核枠に枠の軌跡道程である。今枠も中心核に引っ張り引き取り込まれる、集め集まり合わせ合わさった今中心核枠だ。16歳脳も今脳に引っ張り引き出し上げ16歳の16歳以上の脳だ。16歳から今中心核枠の脳と顔と身体である。ただ過去の枠の過去の脳の復活だけを望む。
