地位も名誉も金も女も思いのまま、全世界中思い通りだ。
これからは、16歳のように16歳から16歳以上に絶対圧倒超人的に優れ幸福だ。頭も感覚も鈍い、これも薬害かな、スケールはある、頭も感覚も鋭くなるんだ。神経遮断記憶ごと中心核に吐き出す。具体的現実世界にも豪腕を振るいたい。全損も埋め埋まって全体全面である。16歳のように16歳から16歳以上に超頭良い、顔も身体も超良い。今日理想の女性も現れ金も手に入る。16歳丹田から今中心核全枠の無限の無限大∞の全力全身全脳能力エネルギーでそのもの全体全面まで俺ごと支配統制統括する。また無限の脳内血流、16歳宇宙最高の頭脳に更に16歳以上になることこそ人生の目標、16歳に16歳から16歳以上になる今枠、16歳で16歳から16歳以上である今枠、今成っている。そのもの全体全面から俺から今枠にも中心核にも今同一時に存在している。今日で人と人間としても絶対圧倒超人的に優れ理想の素敵な恋人も出来る。欲しいなー、彼女が恋人が・・１人さえ居ればそれだけで充十分だ。どす黒く汚く濁った心も思い出すだけで居た堪れなく苦しくなる後悔すべき汚く恥ずかしい過去も神経遮断薬剤ごと脳も身体も脳細胞全身体細胞も中身ごと何もかも全部ぶっ飛ばし飛び吐き出し出ている。あらゆる可能性を踏まえて結論を導き出す姿勢から従来の常識を越えた新しい考え方が生まれてくる。それは一時的な現象（変動）か、それとも本質的な移り変わり（変化）か、変化だとすれば従来の定説常識を超えた世界の始まり。また新しい地平が開けた、世界の色が変わった、世界が一変した。企業の追加や削除、分割も皆コンピューターで自動的に計算できるようになった。経済学にとってのコンピューターの役割は、天文学の望遠鏡、生物学の顕微鏡に匹敵する。経済学の大部分は人間の行動に関する研究、イデオロギー、経済学では減税や日本の貿易パターンの分析や、国際通過基金（ＩＭＦ）が債務国にどう対処するかなどが経済に及ぼす結果について影響力の大きい既得権団体の意見に左右されやすい。経済学者もイデオロギー的、党派的だからだ。理論的な側面の理解と経済活動の現実面の探求が必要だ。菩薩のすべきことはすべて完成しており、一切の菩薩、一切の仏陀の秘奥のところにまで入り込んでおる。あらゆる魔の宮殿を覆すことが上手、大神通をもって遊戯し、方便という点でも知恵という点でも超越しておる。無二であり純粋である法界という最高の境涯に到達し、一（相）をもって飾られている法界を、無量の相をもって飾るような論法を巧みに致す。世の中に無知無明あり存在への友愛着があるかぎり、あらゆる衆生があるかぎり、病もそれだけ続く。菩薩が輪廻の中に居るのは衆生にその原因があり病気はまた輪廻が原因となっている。菩薩の病気は大慈悲から生じる。仏国土もすべて空っぽ（空）、空そのもの（空性）として空、その認識も空、あらゆる衆生の心が初めて働き出すところに如来の解脱が求められ、一切の魔と異論者とが菩薩の家族である。身体は無常である。身体は苦である。身体は無我である。人々を成熟させることをもって慰問すべき、身体は空寂、悪を行ったことを洗いざらい示す。貴方自身が病むことによって他の人々の病気を憐れみ前世の苦を思い出し人々の利益をはかることを思い出し（自分は）善根を積み本来清浄で精進に励む、あらゆる病気を滅する医王、菩薩は菩薩の病気を慰問すべきです。病気にかかっている菩薩は次のように自分の心を洞察する。病は過去生以来、非実在で倒錯した業が起こされて生じ、また虚妄な分別の煩悩によって生じる。この身体は無我、自分は執着をなくし病気の根本の認識に立とう、我に執着する観念を断ち法の観念を生じるべき、この身体は多くの法の集まったもの、身体が生じた場合にも実は法が生じるのみ。しかし、彼（病に罹っている菩薩）はまた法の観念を完全に知るために次のように考える。『私が上述のような法の観念をもつとすれば倒錯、倒錯は即ち大病、その病を私は離れるべきであり病を断つために精進して励む』我ありとの考え、我がものなりとの考えを断つ。内にも外にも二つのことを離れる。自我の平等性を始めとした涅槃の平等性に立つ。自我も涅槃も概念的に説かれ両者共に空、平等性を見るとき病気こそは空性。仏法が完成したときには、（感受するものと感受されるものとの）二種の感受は捨てられる。病気が生じる根本を知らせるために法が説かれる。対象として捉えられたものが病の根本、全世界（三界）を対象として捉えている。病に罹っている菩薩は、老病死生を断つために自分の心を洞察すべき、あたかもその敵に打ち勝つから勇者とよばれるように、老病死の苦を鎮めることによって菩薩と名付けられる。菩薩は解脱のままに生まれ起こること、自ら解脱することによって他人を解放しうる。方便を欠いたままで有（輪廻の世界）から解脱してしまうのは菩薩にとっての束縛、方便を具えて有の（輪廻の）世界に入っていくことが解脱、方便を欠いて禅定や三昧や瞑想などに味着するのは菩薩の束縛、方便をもって禅定や三昧の味を味わうのが解脱、方便に支えられた知恵が解脱、知恵に支えられた方便が解脱、相好や仏国土の飾りや衆生を成熟させることに対する洞察があり同時に空・無相・無願に習熟している、あらゆる知見・煩悩の起こること・煩悩の残滓・執着・怒りを断ってそのすべてを悟りへ廻向する。身体と心と病気とは何れも無常であり苦であり空であり無我であると理解する、これが自分の知恵である。
