寝て起きたら今日今この瞬間にもマシになり地獄を終らせ終っている。
丹田から枠よりも16歳から中心核からそのもの全体全面まで俺、個よりも全、個体よりも全体、今そうなっている。少し前までは原子物理学者が株式や金融市場でもてはやされていた時期があった。理論物理学の数理モデルを市場にどれだけ応用できるか、金融工学分野。今はその流れはやや過ぎ去り文化人類学者が重宝されているという噂、まさに経済も理系から文系だ。直観のない概念は空虚であり概念のない直観は盲目である。可能性と現実性の区別の根底にあるのはカントによると認識の根本的条件による二元性である。自然科学の任務は変化する表面的現象の下方にある永遠の自然または構造に入り込むことである。科学の事実は常に理論的すなわちシンボル的要素を含んでいる。科学史の潮流全体を変化させた多くの科学的事実は観察しうる事実である以前に既に仮説的事実であった。合理主義のあらゆる偉大な体系において数学は人間理性の誇り「明晰にして判明な」観念の領域と考えられていた。基本的な数学的概念は不完全さと曖昧さで充たされている？数学思想史から得た教訓は、一見、異なった領域に属すると思われる他の考察によって補足し確認できる。シンボル思考の真の性質およびその完全な働きは我々の概念および倫理的理想の発展に目を転じた時もっと明白になる。人間の悟性（概念的把握）にとって物の現実性と可能性を区別することは必要必須のものだというカントの見解は理論理性の一般的特性であり実践理性についての真理をも表している。あらゆる偉大な倫理的哲学者、彼らの観念は現実的世界の限界を拡大し進んでこれを超越する。人類の道徳教師たちは偉大な知的および道徳的な力を所有していたが更に深い想像力をも具えていた。プラトンの国家は、純粋に空想的な思考の完全さを示す著しい例だと考えられて来た。それは有閑思想家の頭脳中にのみ存在しうるものだといって笑い物にされもした。我々はこの思想を追求し自身の努力で更に明白にする。倫理的世界は常に作られつつある。理想的世界に生きることは不可能をあたかも可能なように扱うことだ。偉大な政治的および社会的改革者は実に不可能を可能であるかのように扱う必要を何時も感じていた。ルソーは、人間の自然の権利を回復し彼の根源的状態すなわち自然の状態に人間を復帰させることを望んでいる。ルソーはガリレオが自然現象の研究に用いた仮説的方法を道徳的科学の領域に導入しようという試みを示している。ルソーの自然状態の記述は、人類のために新しい未来を描き実現せしめようという意図をもったシンボル的構成物であった。文明の歴史においてユートピアは常にこの任務を完遂した。啓蒙哲学において単独な文学的ジャンルとなり既存の政治的および社会的秩序に対するすべての攻撃において最も強力な武器の一つだということを明らかにした。ユートピアの大使命は事態の現状の消極的な黙認に対抗して、可能なるもののために余地をつくることである。シンボル思考こそ人間の自然の慣性を克服して人間に新しい能力、人間的宇宙を不断に再建する能力を与えるものである。プラトンが「汝自身を知れ」というマキシムを全く新しい意味に解釈したときはギリシャ文化およびギリシャ思想の転回点であった。ソクラテスの方法の限界を遥かに超えた問題を導入した。デルフォイの神の要求に従うために、己を検討し己を知る宗教的義務を遂行するためにソクラテスは個別的人間に接近した。プラトンはソクラテスの探求方法の限界を認識した。我々が個人的経験中に遭遇する現象は極めて様々で甚だ複雑で矛盾したもの、人間は政治的および社会的生活の中で研究する。人類の歴史において現在の形のような国家は文明化がある程度進んでから後で生れたものである。人間は、このような形態の社会組織を発見するよりも遥かに前から、その感情、願望、および思想を組織しようとする試みを行っていた。このような組織化および体系化は、言語、神話、宗教、および芸術の中に見られる。人間の理論を発展させようと考えるならば広い基礎を取り上げる。これらの人間的活動は歴史的発展中において国家の発展と密接に結びついており多くの点で政治的生活の形式に依存している。これらの諸活動はそれぞれの目的と価値を持っている。
