彼には底計り知れない部分が多過ぎる。
バルプロ酸からｉＰＳＣ人工多能性万能幹細胞が出来る、全脳細胞全身体細胞が万能化している。如何にも此の現実世界の主人公、そのもの全体全面まで俺に唯一無二の光り輝く絶対圧倒超人的「存在」である。我が身は天を包み込む。そのもの全体全面まで俺の中で内で内部で史上最も優れた16歳から軌跡道程から中心核としての唯一無二の光り輝く絶対圧倒超人的存在を以て世界制覇に乗り出す。我が身に人生の16才（丹田）という種子始原根本源から軌跡道程（正中線）という茎が生まれ始まり広がり大輪満開の花が咲く、全身の細胞の一つ一つがエネルギー全開放だ。彼は相当切れる、視野も知識も滅茶苦茶広い、超優秀で非常に高い論理的思考力も持ちながら下らん問題を起こしてしまうとは？俺は何時だって一人だった、独りきりだった、生まれ産まれ16才から１人だけだった、我が身一つだけで宇宙全体を象徴しているのだ。一人独りだけで全世界中相手にしても戦い闘い抜ける力が要る、その為の強靭な精神と肉体が絶対必要だ。脳心身体ごと中から内から内部から何もかも完全部分吐き出し洗い流すんだ、脳心身体の外から外部から中心核に中身ごと吸い取り出すんだ。確かに日本語文献での精神世界系の書籍なら沢山読み込んで来たことは認める、それでも全部がごっちゃになっている、全体を構造的に連関させ体系的に纏めつつ更に記憶する能力が絶対必要だ。父親は役員にしてやれた、後は最近落ち目の大成建設全体ごと社内位置も更に引っ張り引き出し上げてやれ。ビックカメラ株式も再びエンジン掛けて爆発暴騰だ。「時」を自由自在にする俺は死んだ犬とも再び巡り会える、軌跡道程に取り残した女も抱ける、過去の全部の失敗後悔ごと人生やり直す、あの16才の力の解放とカルシウムお菓子から薬も女子供も骨髄も宇宙へも何もかも完全部分やり直せる。生まれ産まれ16才から軌跡道程から全世界中ごと我が身に在るからだ。森瞬てさー、結構背大きいんだー。素質は飛び抜けている、成長性も非常に高い、背も高いし骨格も大きいし堂々としつつ俯き加減に歩く姿勢が印象的だった。「空」とは否定作業によって自己が新しく甦るというプロセスの原動力、諸々のものの存在や言語活動を否定する側面と、その否定の結果として新しい自己が甦るという側面との二側面が存する。空とは究極的に言葉を超えた境地を目指し、空の思想では最終的に世界も空である、空に至った後に世界が甦り悟りなどの精神的救済も成立すると主張する。空思想の意義は「歴史とは何か」その上で現在を見つめ歴史の概念をそのものを問い直す。歴史とは人間の行為の歴史である故に歴史の概念を問い直すということは行為の構造そのものを問い直すこと、行為は時間の関数であるから時間をどのように考えるかが問題となる。西洋的な歴史観では世界観があり目的があって手段を選ぶ、という形の行為を中心に考え、更に時間が一方的に目的に向かって流れて行く、方向の時間を軸に行為を見るときには歴史を過去から未来へという流れとして見る。ヒンドゥー教にあっては神＝世界＝人間という図式。ありのままの自己への還帰、釈尊はものを捨て自己を捨て自己への執着を捨て一切を捨てて修行した。煩悩の激流を渡り心の不安や生死を超え彼岸に達する。無明を離れ尽くすには禅定の深まりが伴われ想受滅定といわれる定を通過した。心は欲の汚れから解脱し生存の汚れから解脱し無明の汚れから解脱した。解脱し終わった時に『解脱した』という智が起こった。『生は尽き果てた。清浄行が完成した。為すべきことは既に為された』と知り終わった。「解脱した」自覚こそ覚りの核心であろう。一切の形成作用（行）の静まること、一切の執着を捨て去ること、貪欲を離れること、やすらぎ〈ニルヴァーナ〉、個体への執着から解放される。常によく気をつけ自我に固執する見解を打ち破って世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができる。自我と世界、我（アートマン＝主体的存在）と法（ダルマ＝客体的な存在）の二空を観ずる者には不死の門が開かれ不生の涅槃が実現するという。向上につとめた人が一切の相を心に留めることなく一々の感受を滅したことによって相のない心の統一に入って留まる、そのとき彼の身体は健全なのである。この世で自らを島（灯明）とし、自らを拠り所として、法を島（灯明）とし、法を拠り所として。一切の想念や感受を滅した当人の夢相の心の統一こそに真実（法）が実現する。善とは人間の根源的解放、自我に固執する見解を打ち破って世界を空なりと観ずる。それは自己自身の心の中に求められるべきもの、釈尊の生涯と目覚めのすべては都市の文明や現代の知に再考を迫る。ひたすら自己と向き合う静謐がある。
