必要なのは、構想のスケールの巨大さ、そしてそれを実現する絶対圧倒的パワーだ。16歳から今まで今枠に16歳丹田から軌跡道程も今中心核枠に入る要る居る有る存在する。意識の領域を、肉体の枠より日本という国家の枠よりグローバルに全地平に全体全面に広げ拡大するんだ。そのもの全体全面から俺から意思の意志の力で16歳丹田から広がる中心核枠に固め固まるんだ。16歳で軌跡道程で知り勉強した全内容も思い出し今枠にある。「時空間を超える想像力」歴史軸、昔の場、昔の出来事について、合理的に色んな知識をきちんと組み合わせて、過去の姿、情景、状況を構想・構築できる能力、未来についても今ある知識から合理的に考える。パーツとしては個人個人が一流のものを抱えた全体最適を方向付けるのは仮説法、例えば社会科学と自然科学の研究者が一緒に議論していくうちにシナジーが効いて一気に開いてパラダイム転換が起きるように。本当の意味で問題を解決するには一歩踏み込んだパラダイムジャンプが必要となる。遺伝子暗号のプログラムを書き込んだのは誰だろうか、人間を超える力と働きを感じる。実際、科学者が神を語ると『あいつは終わった』という陰口を囁かれるらしい。しかし本来、科学も宗教も共に天地自然とその中で生きる人間を知ろうとする哲学であった筈だ。何か偉大なもの、科学者こそが人間を超える存在について話すべきだ。霊操は禅に通ずる。禅修行の前提が道元の「道もと円通」（万物は道の活きによって活かされ導かれている）であるのに似て、霊操の前提は神の創造と救済の活きが全世界の隅々にまで及んでいることである。禅体験の根本は「無」の体験であるが、これが「根源と礎」の不偏と似ている。禅では煩悩無尽であり、その中心は自愛心であるから、それから脱却しなければならないと説く。霊操は人間は原罪の影響下にあるから、邪な執着・自愛心から離脱することが必要であると説く。そのために両者は人里離れて静寂のうちに瞑想する。唯一つのこと、創造主に仕え、自分の魂の利益だけに心を集中する。禅の接心では一日十時間以上坐禅し、公案参究という一点に集中する。霊操は神との一致という一点に集中する修行法である。坐禅を霊操の実践に取り入れるならば、霊操が目指す一点（神の御意志を見出すこと、神との深い人格的交わり）により早く達することは明らかだろう。禅の根本原理は「大死一番絶後に蘇る」である。このダイナミックな原理が接心の始めから終わりまで貫き通している。霊操の復活原理は「死と復活」の経験である。
