意識も枠から離れ中心核にあり！！濁った心と共に一緒に重苦し深さも性欲も全部中心核に飛んで持ってかれてしまった。技術的にも高度だが、その分システムが複雑化大型化し、コストも高くなってしまう。大きな存在として包み込んでしまう。その詩的天分を最高度に発揮する本篇は、純歴史的意図をもって書かれたというよりも、寧ろ単なる史実を超えて観念化された、即ち本質的意味における真実を伝えようとしている。真実の歴史に属する具体的細目を含むことはあっても、ここでも史実の上に多少の手心が加えられることもあるであろうが、全体としてはやはり観念化された真実を伝えんとする歴史小説と比較することも出来る。真の愛の化身を観た。実際彼もまたその生涯を通じて終始気高く且つ熱烈なる愛者であり、不惜身命の理想追求者であったのである。己の全存在ごと身も心も捨て去る覚悟で預けるだけ突っ込んで飛ばし飛んで行くだけ。高遠なる理想の実現、美しき若者に対する愛情を解する者として戦場における勇士としての面目躍如だ。全貌を描出した。その思想は散漫かつ漠然、範囲を拡張して全自然と芸術との裡にも支配する一原理として認める。取扱い方は宇宙的である。言い換えれば、前には個々人という小世界ミクロコスモスとその団体たる国家社会すなわち中世界に限られていた議論が、今や宇宙という大世界マクロコスモスにまで拡げられて来たのである。同一原理がこれらの三世界を一貫しているのは彼の信念なのである。フィロソフィヤとは単なる机上の学問よりも、生活の仕方であり道であり態度であると同時に教育体系でもある。終局目的を達して、美のイデヤを観じ、有限者と無限者の合一が実現するまでは、人間はエロスに駆られて、美が関与する経験のあらゆる段階を通過する。彼の生涯は具体的かつ特殊な感覚美から一層広大にして霊的な精神美へと登りゆく行路である。愛の最後の段階を体験した者、この新しい最高の秘義、完全なる人生の教育過程を此処まで昇った。最高段階に達するには魂は学問を超越する。突如として啓示され現れる。美の本質に直に接触し直観する。神々からも愛せらる彼は真に幸福であり(美の,美を内包するところの善の本質を観じたが故に)、また不死である。地上において到達し得る最も完全なる境地にまで到達せしめる。易より難へ形而下から形而上へ日常卑近な事例から高尚なる学問的認識へと進むという漸進主義を採用した。枠に残されていた最後の力をも、一滴残らず根刮ぎ奪い去られてゆく・・見た目から内面から能力から何から何まで圧巻です。彼によれば、幸福をもたらしまた人間相互の間にも、人と神との間にも友情を生ぜしめるものはただ真誠のエロスのみである。彼は更にあらゆる種類の秩序コスモスはエロスによって保たれ、ついには教養ないし教育までもエロスを必要とすると説く。人間と神々との関係を、すなわち宗教問題を論ずるに及んで、この独断的自然探求者の務めは終を告げる。神々と人間との媒介者としてのエロス。孤立せる人間は人間の本質に照して不完全な者であるということ、互いにその短所を補う為に相結合せんとする切願を抱いている。人間が神々に対して敬虔かつ従順であるならば、真誠のエロス、彼の自我のこの第二の半分に対する無条件的傾倒または献身は、離れ離れになっている者を再び元の一体に恢復し、そうして本来相互依存の関係に立てる人々を実際に結合せしめる。離れていた二つが再び一つになるのだ。人生を一つの完き統一された全体として観、これを不完全なる現状に対する理想状態として対置し、エロスをばこの理想追求の努力と解する。エロスは肉体の美から精神の美,更には美そのものへの渇望すなわちフィロソフィア(知恵の愛)にまで高まると説く。愛とは何者かに対する愛、愛は対象への一種の憧憬または渇望、美しきものに対する愛、美は善なのであるから、この考えは愛の最高段階を準備する。抽象的に展開されている愛の特徴を具体的に描写する。エロスは人と神との賢と愚との中間に立つ。有限者と無限者間の中保者たる偉大なる神霊として、両者を結ぶ橋となる。両親の素質を兼備せる彼は、時には貧しく時には富み、時には栄え時には萎む。完全なる知識と全然たる無知との中間に立つエロスは愛智者である。善きもの幸福を自らの為に欲求し永遠に所有する。所有者の永続的生存すなわち不死が要求せられる。生殖によって個体の延長を図る。美は身体や道徳や精神の上の様々の形、肉体や魂や芸術や諸々の学問の、最後には至高の学問の絶対美のイデヤにおいて顕われる。肉体的生殖の本能的欲求は不死の要求の最も初歩の形、更に高きは精神上の自覚的生殖によって達成せらるる精神的不死である。霊感に動かされた先達の導きの下に正しき途を進む者においては、そのエロスは漸次に進歩の段階を昇る。美は様々の形の下に見出され現れる。美を観た者は生産に向かう。生産は更に新しき美を探求するに至らせる。この探求過程は組織的方法と規則立った順序に基づいて、物質的対象から非物質的対象へ段階を追うて上昇の歩を進める。最初には一つの美しき肉体に対して、次には肉体的に美しきすべてのものに対し、それから慣習や制度上の美に対し、更に進んでは心霊上の美(卓越)に対し、次には学問上の美(諸多の美しきイデヤ)に対し、終には美しきイデヤから永劫不易にして純精神的なる唯一絶対の神々しき美のイデヤ、一切の有限なるものが与かるところの美自体、美の原型ないし絶対美(の認識)に対する愛を体験するに至る。そのもの全体全面まで広げ広がり続ける俺に連れ伴い引っ張られ、枠も共に一緒に物凄く素晴らしく良くなり続ける。己は何時いかなる時も常に全体であるから、全部の他者も自分の中に内に内部に取り込まれているのだ。領域は何処までも取り止め限りなく広がってしまう・・それでも16才さえ軌跡道程さえ枠にあれば・・死ぬのが飛び降り頭割り自殺するのが最善の道なの？道々独り黙想に耽りながら歩いていた。本体は中心核だから、枠も直接移動するだけだ。枠自体全身丸ごと中心核に引っ張られ嵌り填り込む。ただ漠然と想像し予感していたところのものを、はっきりと、すなわち真理を認識しかつこれらを最高所から通観し、必要に応じて修正深化させる。イデヤとは有限なる諸現象の本体且つ原型として時処を超越せる不生不滅の実在である。イデヤが現象界との関係を超脱すればするほど愛もまた高尚となり遂には理性は一切の感覚的なるものを脱却せる純粋な美の本体を直観するに至る。これこそフィロソフィヤ即ち智慧の愛求であり、道徳的にも知識的にも人間向上の最高段階である。字のせいか精神も魂も中心核と枠とに分裂しているから、こんな様か。愛あるが故に理想を最高認識を希求憧憬し、一度自らこの境地に達したならば、最高の愛の情熱に駆られて、美を現象世界に善を人間社会に実現せんとの熱烈な願望を抱くに至る。人生の目的が、永遠なる者の超地上的なる美ないし善ないしイデヤの直観と最高の道徳的完成とに到達すること、およびかかる心境に相応しく活動すること、しかもこの目的を達成するに当って心霊に最大にして必須なる助力を与うるものは、人間の衷に宿れる憧憬の感情すなわち愛に外ならぬ。霊的愛の高貴なる理想が人生において実際また実現し得る。終局目的
