暫く英気を養っておけ。
広げ広がり続けた領域から俺が今枠を引っ張り引き出し上げておく。失った貴重で大事な物も取り戻し戻って来る。コーランに於ては、善行への報いに於ては神の慈悲が加えられ神からの恩恵となされるのに対して、悪業への報いは人間が自ら行った現世の悪事が自分に舞い戻って来る。つまり自業自得である。お前に降り懸かる幸運はアッラーの授け給うたもの、お前に降り懸かる災難は自身から出たこと、我らはお前を使徒として人々に遣わした。証言はアッラーだけで事足りる。天地の秘儀はアッラーの司り給うところ。アッラーの定めの時、いよいよ近づいて来たぞ、近づいた。時の起るは正に瞬き一つの間、それよりもっと近い、まことにアッラーは全能におわします。終末の時は接近の過程に於いて動的に把えられ、その可動性には幾つかの段階が認められる。終末は未来の一時点に到来し、この時間の距離を一挙に越えて、現世の直中にありながら終末の時点に心理的に自分を移し、終末を現在、目の前に起ることとして感ずる。一瞬にして現実の世界の次元を跳び越えて最後の審判の場面に突入する。終末の時点に立つときに時間の流れに逆行して現世を過去として回想し、その振り返って見られる時間に関して、現世で人間が死んだ時から終末に於いて復活する時までの時間の長さが実際よりも遥かに短く感じられる。神よ、どうぞお手ずから我らに御慈悲を垂れ給え。我らが現にしていることを何卒正しいものに作りなし給え。彼らがどれほどあそこに留っていたかということはアッラーが一番よく御存知。彼こそは汝らを泥から創造し、それから一定の期限を決めて下さったお方。期限はみなその御胸の中ではっきりと定まっている。期限は今までの現世とは全く違った新しい永遠に続く時間としての来世への出発点と考えられている。敬虔な信者のために御褒美として旅路の果てとして約束された永遠の楽園、彼処へ行けば欲しい物は何でもあって常永久までも住める。これこそ主が御自ら責任を取り給う固いお約束。終末を境にして有限な現世の時間から無限な来世へと移行する。無限な時間とはコーランでは神の時間、終末とは有限な人間の時間と無限な神の時間との接点であるともいえる。アッラーの摂理は天から発して地に及び、更にその力は一日にしてお手元に昇り行く。諸天使と聖霊はアッラーの身元へ一日で昇り行く。アッラーこそは天にあっても神、地にあっても神、まことにその知恵限りなく全てを知悉し給う。天と地と、その間なる一切を統べ治め給うお方に栄光あれ。連れ戻されて行くのもあの御方のところ。終末の到来が本当であることを知っている。アッラーと対面することを確信している。天と地の創造も神兆の一つ。それからそこに播き散らし給うた無数の動物も御心ならば何時でも忽ち一つに集めることもお出来になる。アッラーのお約束は必ず実現する。お前らに約束されたことは必ず起る。裁きの日は必ず来る。汝らに約束されたことは今やまさに事実となろうとしておるぞ。主が御自ら責任を取り給う固いお約束。創造は徴、終末は約束である。ただアッラーのみ万有を創造しておいて、やがてまたこれを元に引き戻し給う。天と地の主権を一気に収め給う、万有を創造して、すべてを見事に整理し給う、真理は現れた。お前たち全部を創造し、また復活させることもまるでただ一個の魂でも取り扱うようになし給う。創造も終末もアッラーにとっては容易な業、根本的には神の全能と繋がり創造と終末のいずれもが神の全能のあらわれる。創造と終末は結びついている。一度主が暴れ給うたら、その暴れ方は凄じい。創始するも引き戻すもすべてその御業。神は我々に対し無限の勢力を有し、而も神意は全く自由である。神は善理を超越し、神これを命ずるが故に善なる。我々は何でも絶大なる勢力を有するもの、例えば高山、大海の如き者に接する時は自らその絶大なる力に打たれて驚動の情を生ずる、雄大なる事物に虜にせられ没入する。理想を尊敬する。物の真相が即ち善である、真相を知れば自ら何を為すべきか明となる、我々の義務は幾何学的真理の如く演繹しうる者であると考えている。

