枠ごと統一の中に組み込まれる。
更なる激しい変化変質変容変貌変身から大きい進化成長発達発展の為には混沌分裂は寧ろ望むところ？安定する為には秩序統一が必要？だからこの混沌分裂も最終的大統一の完成の為だ。貴方の宝のある所には心もある。精神が遍歴してきた広く危険な土地を見渡す間、思想が一層円熟した明快な強力な完全なものになっていることを望む。今なおそれらの思想を堅持し、それらの思想がその時期の間に緊密に結び合い互いに根を絡ませ枝を交え合って成長してきたということ、このことは心に悦ばしい確信を強めてくれる。それらの思想は一つの共通の根から心の底にあって命令し明確に物を言い明確なものを求める一つの認識の根本意志から生じたもの、一本の樹木がその果実を結ぶ場合の必然さをもって、思想、価値、然り、否、は悉く互いに類縁関係をもち、同一の意志、同一の健康、同一の土地、同一の太陽の証として、内から生じてくる。「胸中に半ば児戯を半ば神を」抱いている年頃、深く考える人、真摯なる人は必ず知識と情意との一致を求むる。何を為すべきか、何処に安心すべきか、その前に、先ず天地人生の真相は如何なる者であるか、真の実在とは如何なる者かを明にする。哲学と宗教と最も能く一致したのは印度の哲学、宗教である。印度の哲学、宗教では知即善で迷即悪である。宇宙の本体はブラフマンでブラフマンは吾人の心即アートマン、ブラフマン即アートマンなることを知るのが哲学および宗教の奥義であった。我々が同一の自己があって始終働くかのように思うのも、心理学より見れば同一の感覚および感情の連続、直覚的経験が基礎となって上に凡ての知識が築き上げられる。哲学が伝来の仮定を脱し、新に確固たる基礎を求める時には、いつでもかかる直接の知識に還ってくる。デカルトの「余は考う故に余在り」は実在と思惟との合一せる直覚的確実をいい現したものとすれば、純粋経験の出立点と同一になる。身体も自己の意識現象の一部、身体は自己の意識の中にある。直接の実在は独立自全の有即活動である。思想感情の内容は凡て一般的、幾千年を経過し幾千里を隔てていても思想感情は互に相通ずる。例えば数理の如き者は誰が何時何処に考えても同一、故に偉大なる人は幾多の人を感化して一団となし同一の精神を以て支配する。この時これらの人の精神を一と見做す。意識現象は始終変化する出来事の連続、形式は意識統一の上に成立する。意識においては凡てが性質的、潜勢的一者が己自身を発展する。意識はヘーゲルのいわゆる無限である。無限の変化を含む。意識が精細と成り行けば一種の色の中にも無限の変化を感ずる。感覚の差別も分化し来れるもの、元来一の一般的なる者が分化して出来たから体系がある。主客未分の独立自全の真実在は知情意を一にしたもの、成立する方式は、先ず全体が含蓄的に現れ、その内容が分化発展し、この分化発展が終った時実在の全体が実現せられ完成せられる。一つの者が自分自身にて発展完成する。意志について見るに、先ず目的観念なる者あり、これより事情に応じて実現するに適当なる観念が体系的に組織せられ、この組織が完成せられし時行為となり、ここに目的が実現せられ意志の作用が終結する。真実在の活動では唯一の者の自発自展、内外能受の別はこれを説明するために思惟に由って構成したもの、直接経験の真実在はいつも同一の形式によって成立する。凡て物は対立に由って成立するというならば、その根底には必ず統一的或者が潜んでいる。物体現象も精神現象も純粋経験の上においては同一、思惟意志の根底における統一力と宇宙現象の根底における統一力とは直に同一である。たとえば我々の論理、数学の法則は直に宇宙現象がこれに由りて成立しうる原則である。実在の成立には、その根底において統一が必要であると共に、相互の反対むしろ矛盾が必要である。ヘラクレイトスが争は万物の父といったように、実在は矛盾に由って成立する。矛盾と統一とは同一の事柄を両方面より見たもの、統一があるから矛盾があり矛盾があるから統一がある。最も有力なる実在は種々の矛盾を最も能く調和統一した者である。実在の根本的方式は一なると共に多、多なると共に一、平等の中に差別を具し差別の中に平等を具する。実在は自分にて一の体系なした者、真実在は無限の対立を以て成立する。活きた者は皆無限の対立を含み無限の変化を生ずる。精神を活物というのは始終無限の対立を存する故。対立の根底には統一あり無限の対立は皆自家の内面的性質より必然の結果として発展し来る、真実在は一つの内面的必然より起る自由の発展である。直接経験より見れば活動その者が実在である。青年が何をやっても不思議なことに人間の全体が現存している。青年においては凡ゆるものが未来へ向って進んでいて未来へ進み入ることが現在を通じてのみ可能であるため、一つの点としての青年のうちに何時も生命の全体が集っている。一切と無限なものとへの憧れ、それを満たす手段は純粋主観的な生命のみ、それが超歴史的意味のロマンティシズムというものである。
