枠として
端整で物憂げで優しげで知的で異様な眼の光を持つ風貌をした上品な物腰の長身の絶世の美青年
一応神の化身として生まれついたから
そういう運命を背負って生まれついた枠
今月中に終らなかったらどうしようかな・・・不老不死は確実かもしれんが今の時点では人としての能力はないしな・・・さすがにもう待てないよ
16歳から8年目・・・完成するにはいいきりだ
今月中に確実に完成しなくてはならない
枠を壷に例えるなら、底を浅くされる上に中身を全部吸い取られるという感じだ
これをやられると枠はゴミ同然
枠を入れ物に例えるなら、容積を狭め続けられる上に中身を全部吸い取られるという感じだ
お前の場合は激しく流動的で
7.2 梵我一如に向けて
(1998年7月9日一部修正) 
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図 7.3 (1) 意識の拡大化
 図 7.3 (2) 存在と認識
 図 7.3 (3) 梵我一如
 

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電脳経済学は最終目標として梵我一如という考え方を目指しています。梵は宇宙を我は自己を指しますから宇宙と自己の一体化あるいは宇宙と自分の同一視が梵我一如の意味であります。この考え方は古代インドのヴェーダ教典に見られるものです。ヴェーダ教典はバラモン教の根本聖典であり紀元前十数世紀から千年にかけて成立したとされています。そのヴェーダ教典時代の末期にウパニシャッド哲学が生まれ、そこで宇宙の根本原理（ブラフマン：梵）と個人の自我（アートマン：我）の一致が説かれています。これが梵我一如思想の由来であります。
宇宙をどう捉えるかは各人の自由ですが、それは宇宙を認識している人間があってのことです。この宇宙と人間を巡るさまざまな考え方の一つとして「人間は宇宙の自己認識だ」とする立場があります。これは人間は神の似姿である、つまり神が人間を自分に似せて創り給うたとする考え方と軌を一にするように思われます。この対称性を拠り所とする考え方から次のことが言えます。

図 7.3 (1) は梵我一如へ向けての意識の拡大化を表現しています。人間意識の宇宙存在への接近と言っても同じことです。人間は出生時は可能態として与えられますが、その後は先ず理想を描きその実現に向けて生涯を送ることになります。この過程で同心円的に意識の拡大化が進みますが、一方ある種の偏見もまた育って行きます。ここで言う偏見は常識と同義ですから両者を識別するには基準が必要となります。その基準があるがままですが、この場合系の位置付けは環境に求めることになります。例えば日本を論じるには世界を知るべきだとする論理です。

図7.3 (2) 存在と認識の関係は次のようになります。宇宙の中心に自己なる人間が存在していて、その人間は内なる意識で外なる宇宙を認識しています。これは外的世界と内的世界とも言えます。世界とは宇宙の一角を指しますから外的宇宙を大宇宙と呼び内的宇宙を小宇宙と称しても結局は同じことです。このことに関しては唯心論と唯物論を巡る論争が古くから絶えませんが、これは真偽の問題ではなく見方の問題のように思われます。つまり存在と認識は相応の関係にありますからあるがままを認めればそれでよしという極めて楽天的な結論になります。これを裏返せば人間が政治を必要とする理由は現実を認めない態度にあります。

図 7.3 (3) 梵我一如は宇宙と人間を対称的に表現したものです。存在している通りに認識すれば善も悪もない無為自然、万物斉同の世界が現われます。存在と認識の差異がないとはエントロピー最大の終末状態とは意味が異なります。あるがままを認めるとは存在と認識が一致して差異が消える状態であり、一方エントロピー最大の終末状態とは存在が一様になって差異が消える状態を指します。つまり、これは全知と無知の関係に対応しています。
無限の力の源
神の如きお姿
神の姿
完成する時が来たのだ
完成の時が来たのだ
枠が広がっていく過程に於いて
枠が「すべて」へと広がっていく過程に於いて
枠が全体へと広がっていく過程に於いて
世界最強の男
意識の拡大化
