枠は俺の現実特殊専門具体具現実化しさせされた姿だ。
そのもの全体全面まで俺の今中心核全枠、枠も完全武装、完全武装している枠だ。英雄肩で風切って歩く。格闘技？喧嘩？十人くらいまでなら全然大丈夫、本音で言えば百万人だって全世界中相手だって行ける。あの16歳で泣き叫んでた頃も雪の中を飛び出して行った夜も「心理的には」今に同じだ、凄まじい勢いで転がり落ち続けていたけど、あの頃でさえ今よりは遥かに優れていた、全時期も今に同じだ。融通無碍のその学問、先生の学問・見識は本当に解脱しておる。実に自由自在です。熊沢蕃山先生の思想・学問の魅力は、単なる理知的な大脳皮質あるいは前頭葉的よりは、実に深く情緒化されており、いわば大脳皮質と気界、丹田までが統一されて思想となり業績となっておるというところにある。無とは全有である。人間生ずる以前も天地には道があった。天地分かれる以前は、いわば大虚、宇宙に行われておった。そういう本質を元来存しておった道に基づいて、現象世界に処して、聖人がその時代、その場所、その地位に応じて、事の宜しきに従って作り上げたものが法である。それゆえにその時代において、その法はその道としっくり配合されておった。単なる知識に、少し道徳的な内外に通ずる深い教養が加わって、こうならなければならぬと判断を下すのが見識である。この見識に実行性、如何なる矛盾・衝突をも排して断固としてやる勇気が加わると、これを胆識と言う。人間も才智がふんだんに表面に露出している状態よりも寧ろ内面に含蓄して人徳を培養し、時たま才智を働かせる方がよろしい。金や銀も、あまり世上に出し過ぎるよりも、国土の精粋エキスとなり潜在的エネルギーとして山中に蓄えた方がよいかと思います。アインシュタインを半円とすれば、ちょうど別の半円になるといわれるタイヤール・ド・シャルダンがいる。アインシュタインは人間から入って自然に徹していったが、シャルダンは自然から発して人間に徹していった。そして自然と人間というものを一貫して洞察しておる。彼に言わせると、そもそも地球が太陽から分かれた濛々たる草創の時代、言わば天地開明の期、やがて水が生じ海となり万物が発生してきた。最初は無機物の水の世界と言うてよろしい。次第に植物や原始動物、色々の生物の世界が現れ、今度は文明文化の世界になった。有機的生命世界、濛々たる天地の気から次第に生命の世界が現れて、そこから精神の世界が現れてきて、そこに発達したものが人間であると推論した。それまでの西洋の学問では、専ら自然と人間とを対立的に考え、人間の歴史を自然の歴史から区切って、そして人間が自然を征服するというような考え方さえ発展した。物の世界・自然の世界と心の世界・人間の世界とは同一系統のものである。人間の霊妙な色々の機能というものは、いずれかの程度において自然に含まっている。東洋の言葉で言うなら「天地同根・万物一体」となる。東洋的思索の一つの根本命題である。このすべてを通ずる自然、あるいは天の働きというものは、実に不可思議な限りない創造・変化であり、これを造化と言う。これはあらゆる自然科学者が競って解明しておることで、自然科学は結局、東洋の歴史的学問でいうところの造化という一語を限りなく豊かに興味深く解説しておるものと言うてよろしい。したがって、自然と人生とは共通した一つの道、その内容は限りなき創造変化、道の二大眼目である。生の千変万化である。生命力・創造力旺盛なほど変化に富んでいる。単調であれば生の限られた姿、生の豊かさに恵まれたところでは非常に内容が豊富で変化がある。その意味で、我が日本は最も生の豊かさに恵まれた天地である。日本は実に瑞々しい。日本人の肉体は弾力性をダイバーシティーを持っておる。日本人の生命力・エネルギーが若い。精神・頭脳は非常にダイバーシティーに富み、思想・信仰の上からも自由寛容、古来の神道の他に仏教・儒教・キリスト教、何でも取り入れ消化吸収し自分のものにしてしまう。ついには西洋のデカダンスからリベラリズム、共産主義まで、時には中毒したり下したり吐いたりするけれど、実によく取り入れる。日本独特の神道は儒教・仏教などを見事に取り入れて新しい神道を作っておる。これを山鹿素行は天縦の神聖と言うておる。天のほしいままにさせるところの神聖、非常に優れた働きであり能力である。日本は非常に包容力があって、しかもこれを日本的個性的に創造し造化してゆく。生命力が旺盛で健康であれば、何でも消化し、それがその人独特の体質・風貌をつくっていくように、日本民族精神が旺盛である。日本精神の粋を体得した人ならば、外来の思想・信仰・学問を自在にこなして、それを極めて日本的な日本民族的なるものにリクリエイトしていく筈である。そういう人が一番純粋の日本人である。厄介な困難な紛糾した問題ほど初めの根本にかえって考え実行することが大切です。人間が禽獣的動物的段階から発達してくるにつれて、何が善で美で神聖で真実であるかといった価値観・理想が考えられるようになってきた。そこに自然に生まれてきたものが道徳、最も自然な真実な誠のもの、広い意味においてすべては道徳、人間はいかに生くべきか。手練手管、機械的功利的な手段や理屈よりは本質的な情緒が必要である。パスカルは、頭の論理に対して感情は心の論理であると言うておる。日本の代表的な哲学者である西田幾太郎も情のことを自我そのものの状態の意識であると説明しておる。道徳は、この感情・情緒・情操に訴えるのが一番有効である。私は、神に助力を求め神を信頼し支援と加護を求めつつ述べる。そういやあ京都議定書からもエネルギー関連会社と繋がりの深いブッシュアメリカが離脱したことで地球温暖化が進んでしまった、ゴアは参加する予定だったのに・・ゴアでなくブッシュが大統領になった事が世界平和を壊したのみならず地球温暖化まで進めてしまった、票差は僅かだったのに、本当に残念です。最悪の状況を回避するチャンスはまだ残されている。世界各地で異常な気象変化が見られるが、地球には治癒力がある。今行動を始めなければ人類にとって死活問題になる。ビジネスの世界には多くの法則があることになっている。イノベーションとは新結合、新興企業のみならず既に多くの要素を内部に潜在させている古い企業にこそ可能性がある。青年の盛り、まだ16歳頃から今日に至るまで、常に深い大海の底に飛び込み、大胆に荒海に潜り、どのような暗黒の海底にも突き進み困難にも挑みかかり深淵に入り込み、どのような分派でもその信条を精査し、どのような集団でもその教説の奥義を解明しようとしてきた。それは、真理と虚偽、正統と異端とを識別するためであった。事物の本質を理解しようとする渇望は血気盛りの当初からの習性であり性癖であった。それは神が私の性格の中に植え付け給うた生まれながらの資質であり本性であった。神の示す方に進まん。賽は既に投げられた！来た見た勝った。生計・生業に精出した生活は、それなりに充実してはいても見落としてきた事も多い筈だ。その中にこそ人生を円熟させる契機が潜んでいる。退いて見る世の中の面白さ。
