枠よりも俺！！枠よりも広げ広がり続けている俺こそが自分である。枠は世界を流れる気の力の体現、枠に一部より全体を体現する。今やこの枠は、より可塑的で変化し御し易いものとなった。あの16才から、この枠は根本的な変質を余儀なくされた。そう、セブンイレブンで電影少女立ち読みしてた、バスケ部ほとんど見てる。森瞬がセブンイレブン電影少女を立ち読みしていた。字が原因なのか、この気の流れは、頭蓋骨や鎖骨よりもずっと大きな問題のような気がするが・・大体あの時もあの時も自殺しようとして、その度に多少マシになりを繰り返して、或いは女を抱けるという全部の機会チャンスも逃し続けたのか・・どれだけ字を書き込み入れ印刷しても、果たしてこの字が枠に世界にどれほどの効果影響を与えられるというのか？全体を統合一致する。森君を陶冶する。16才も軌跡道程も枠になれば、また能力が絶対圧倒的に抜きん出て神に成れる。今はこの様だけれど16才は超頭良かったんだ。子供の頃も16才も全部の時期あらゆる頃あらゆる時もハッキリ鮮明に覚えている記憶に残っている。結局16才よりも能力は全然・・自分に出来るのは字に任せるだけか。中世は、この統御というギリシア的な観念に、一つの高い意志から発する命令という観念を加え、その結果、自然の諸作用を、行為指導の権威を持つ存在の定める任務の遂行であるかのように考えた。天上に作用する高級で崇高な理念的な力と、地上の事象を動かす低級で物質的な力との差別を取り払った時、近代科学は第一歩を踏み出した。同じ法則がどこでも通用すること、自然全体を通じて、どこでも物質や過程は同じであることが主張された。
