現代の初頭に現れた思想家、人間学に新たな力と光明を与えた、パスカルの業績、人間学の最後で最も感銘を与える表現が見出される。彼は思想体系を綜合的にまとめ上げる点で天賦の能力をもっていた。彼の思想の鋭さと文体の明快さによって浸透される。彼の中には現代文学と現代哲学のあらゆる長所が結合している。人間を特徴づけるものは人間性の豊富で繊細で多様で変わりやすいことである。合理的思考、論理的および形而上学的思考は、一貫した性質と統一ある真理をもっているものだけを了解せしめる。哲学者は人為的な人間より真実の人間を記述する。人間の定義は人間についての経験に基づく、人間の生活と行為を了解する、矛盾こそは人間存在の要素、人間は存在と非存在の不思議な混合、彼の位置は二つの極の間にある。宗教は我々に、堕落以前の人間と堕落後の人間、二重の人間があることを示す。人間は、より高く真実な声を聞くために沈黙する。汝の自然の理性によって汝の真の条件の何たるかを探求せんとする汝、人間よ、しからば如何にならんとするのか。しからば傲慢な人間よ、汝は汝自身に何たる逆説であるかを知れ。無力なる理性よ謙譲たれ。人間は無限に人間を越え行くことを学べ、汝の無智たる真の条件を汝の師より聴け。神に聴従せよ。人間の救いは神の恩寵の奥妙な作用による。神に似せて創られた似姿である人間さえも神秘的である。人間の背理、内的矛盾、奇妙な存在を掴む。人間的な物の秩序を了解するためには宇宙の秩序の研究から始める。宇宙の秩序は全く新たな観点から見られるに至った。新しい宇宙論、すなわちコペルニクスの著作の中に導入された太陽中心説、新しい人間学についての唯一の健康で科学的基礎をなす。古典的形而上学も中世の宗教および神学も、根幹は、その方法と目的はどんなに異なろうとも共に共通の原理に基礎づけられていた。両者とも宇宙を階層的秩序と考え人間はそこで最高の地位を占めるものとされた。ストア哲学においてもキリスト教神学においても人間は宇宙の極点だと述べられていた。両者の説とも世界および人間の運命を支配する普遍的摂理があると確信した。ストアおよびキリスト教思想の基本的前提の一つであった。これが突如、新宇宙論によって反対を受けた。宇宙の中心たろうとする人間の要求はその基礎を失った。人間は無限の空間の中にあり、この中において、その存在は唯一個の点であるように思われる。彼は無言の宇宙によって彼の宗教的感情にも彼の最も奥底にある道徳的要求に対しても沈黙する宇宙によって取り巻かれている。「この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐れしめる」とパスカルはいう。コペルニクスの体系は十六世紀に発展した哲学的不可知論と懐疑主義の最も強力な手段の一となった。人間が他の生物に遥かに優れているという考えが、いかなる基礎の上に築かれているか、理性の力で了解せしめる。この蒼穹の讃美すべき運動、頭上遥か高く廻る日月の永遠の光、無限の太洋の不可思議にして恐怖すべき運動、人間のために人間に都合よきよう多年月の間、行われ続けられたこと、自己自身の主というよりも寧ろあらゆる物の害を受けやすい悲惨にして賤しむべき生き物、世界について知る力、全体を命令する力、世界の主であり皇帝である。人間は常に自己の生きている範囲を世界の中心とみなし、自己の個人的私的生活を宇宙の基準と考える傾きがある。我々の母なる自然の偉大な像を完全な尊厳と光輝のままうつし画の如く自己の脳裡に浮べる者、自然の顔に甚だ一般的にして恒常的な多様性を読み取る者、その自然の姿の中に自己を観察し全宇宙に比較すれば小さいものが全き世界と考える者、その者のみが事物を真の価値と偉大さに従って評価しうる。モンテーニュの言葉は近代の人間論の、その後の発展全体を解く鍵を与える。近代哲学と近代科学は、この言葉の中に含まれている挑戦を受ける。近代哲学と近代科学は新宇宙論が理性の力を樹立し確認することを証明しなければならなかった。このような任務こそ十六世紀および十七世紀の形而上学全体の結集した努力であった。これらの体系の歩む道はそれぞれ異なっていたけれども、すべて同一の目的に向けられている。それらは新宇宙論の禍と思われるものを福に転じようと努力する。
