生まれてから16才から積み重ね上げ広げ広がり続けた軌跡道程であり、その頂上点に立つ今！！全体であり頂上点である今！！寝て起きたら、今日今この瞬間にも、広げ広がり移動し切り一つに合一しさせされていること！！
御前にも良かった頃素晴らしかった時マシだった時何とか出来そうだった時は沢山沢山本当に沢山あったけれど、優柔不断で不安定で繊細な所為で全部の機会チャンスも通り過ぎ手の中から摺り抜け逃してしまった・・それでも、全部の時期あらゆる頃あらゆる時の自分も軌跡道程も全体の中に中心核に居る有る存在するから、一つに合一すれば、好きな好みの女も抱き捲れる筈だ、全部の失敗の後悔も必然の一本道、運命だったのだ。やり遂げたという充実感が心地よい疲労感となって体を浸し眠り続けた。永遠の生命を信ずるということは、生命の本源は精神的なものであり、それゆえ時間を超えたものである、と信ずることである。この世の生に意義を与え、その全活動に確固たる方向を与える信仰である。人生のあらゆる矛盾を解決し、人間に最大の幸福を与える感情は愛である。善によって己の怒りに克つ。自分の感情に克つことで自分自身を統御する。愛は人間を自分から、自分の個我から脱出させる。人類の始祖アダムから、今日に至るまでの幾百万幾千万世代のあいだ、万人が参加して一つ一つ石を積み重ねて初めて、偉大なる神の住まいに相応しい神殿が出来上がる。人間の生命は自転する環のようなものである。それは無限に小さな環から八方へ広がって、新しい、だんだん大きな環となり、その広がりは無限に続く。
普遍的理性的な我が樹立されることのなかにこそ、発生増殖する胚芽のように、やがて世界を照らし、これを支配する一切のものが含まれている。世界の生命においては千年も一日に等しい。我々は辛抱強く神の国の実現のために働き、その到来を待ち望む。神の国は汝らの内にある。それゆえ神の国を己の内に求めよ。しからば、爾余のすべては、我々にとって望ましきものとなってゆくであろう。破壊された万物合一の認識をよみがえらせる。この認識法は愛に基づいている。自分と他のすべての存在との合一、すなわち神との合一に基づいている。必要なことは唯一つ、神を認識することである。一切の感情、精神力と知力、一切の外的認識の方法は、結局神を照らし出す喜ばしき光、神を崇める手段である。いつかは失われる一切のものを離れ、ひたすら永遠なもの、根源的なものに結び付き、これを享受する。崇めること、理解すること、受け入れること、感ずること、与えること、行動すること・・それが君の掟であり義務であり、君の幸福であり天である。ただあるがままの状況を事態を己の宿命として全体の運命として受け入れるだけだ。来たるものをして来たらしめよ。神との内面的和合を築き、神の前に、神との接触のなかに生き、抗いがたき永遠の力をして汝の生命を導くに任せよ。君の成功への道を閉ざすのは、それが君のために無我の偉業と献身と精神的偉大さへの道を開かんとするためである。意識的に神を己の同居者として選ぶがよい。なんたる精神的労苦！本来時間は空であるが、君は生命に溢れており、もしも君が今日この日に神を見出したならば、その一日は幾百年にも相当するであろう。我々の生命の中心は、我々の意識よりもっと奥深く我々の本質にある。我々の本質こそ真の根源である。その根源的領域に、まさに我々自体となって、無意識的本能的に入り込んでくる真理、実質的な我々の生命、真の私である。本質的には我々は、永遠の生命の中に平和と安静を発見することができる。永遠の生命、これこそ神的生命であり神自体である。神性を具えた存在となること、これこそ生命の目的である。そのとき初めて、我々は真理であり神の意思であり神の御業である。自由は我々の本性となり、我々の創造するものは造物主と一つになり、愛によって造物主と結合し、その本来あるべきものとなる。造物主の教育は終わりを告げ、その至上の法悦の世界が始まる。太陽は時間を超え、永遠の悦びの光が現れる。神への愛の本質は、造物主の高き光と融合せんためにそれを目指し、それに惹かれる精神状態の中にある。完全無欠性と完全なるものとの合一への希求を喚起する善に対する愛情である。彼は自分の前途に待ち構えているものを思って慄然とした。身体の隅々まで血気が溢れていることを感じていた。彼の中の全自然が満足を求めていた。
