異常な拘り執念深さである。死んだものは更にここで変化し分解してその固有の元素に還る。それは宇宙の元素であり、また君の元素でもある。万物はそれぞれある目的のために存在する。自然はものの発端や経過のみならずその終末をも自己の目標の中に入れた。あらゆるものがそこから一丸となって出てくる万物の源泉に関連させて受け入れる。君は自然による統一の外へ放り出されてしまった。君は生まれつきその一部分だった。ところが現在は自分で自分を切り離してしまった。ただしここで素晴しいことには、君は再び自分を全体の統一に戻すことが許されている。一度ばらばらに切り離されたものが再び元通りに集まる。見よ、光栄にも神が人間に注ぎ給うた慈愛を。宇宙の自然は自分自身にかぎられておりながら、その中において腐敗したり老廃したり不用になったりしたように思われるものを悉く自分自身に変化せしめ、これらのもの自体から他の新しいものを再び創り出す。自分の場所、自分の材料、自己独特の技術でこと足りる。人間も神も宇宙もすべて各々固有の季節に実を結ぶ。今日私はあらゆる煩労から脱け出した。あらゆる煩労を外へ放り出した。内部に私の主観の中にあった。万物は変化しつつあり、君自身も絶えざる変化の中にあり、ある意味で分解しつつある。然り、宇宙全体がそうなのである。形相因に遡れ、これをその素材から分離して眺めよ。すべて現在君に与えられているものは神々から来るものであり、神々の善いと思うものこそ、現在においても未来においても君にとって善いものであることを自分で納得するようになるのであろうか。またかの完全なる善なる正義なる麗しき存在、すなわち万物を生み保ち包容し分解するものを集め其処から他の同様なものを創り出す者を護るために、神々がこれから与えようとするすべてのものもやはり君にとって善いものであることを納得するようになるのであろうか。何事が君に起ろうとも、それは永遠の昔から君に用意されていた事なのだ。そして諸々の原因の交錯は永遠の昔から君の存在とその出来事とを結び合せていたのだ。自分が全体の一部分であることを記憶しているかぎり、あらゆる出来事に対して満足しているであろう。人生は必然的に幸福に流れ行く。16才という珠玉の宝石が壊れ爆発してから、枠としても軌跡道程に広げ広がり染み込み渡り浸透し復活、第二の新生の時だ。君は更生することができる。物事を再び以前のような眼をもって見よ。更生とはこのことに在るのだから。私は形相因と物質から成っている。魂は思想の色に染められる。魂のみが自分自身の向きを変え身を動かし、なんなりと自分に相応しく思われる判断に従って外側から起ってくる物事を自分のために処理する。我々の精神はすべてその活動の妨げになるものを覆し、これを目的達成に役立つものと変えてしまう。かくて活動の妨げになっていたものが却ってこれを助けるものとなり、道の邪魔をしていたものが却ってこの道を楽にするものとなってしまうのである。万物は互いに絡み合い、その結び付きは神聖である。あらゆるものは共に配置され、全体として一つの秩序ある宇宙を形成している。万物によって成立する一つの宇宙があり、万物の中に存在する一人の神があり、一つの物質、一つの法律、叡智を有するあらゆる動物に共通な一つの理性がある。あらゆる体は宇宙全体の物質によって奔流に流さるるがごとく運び去られ「全体」に結び付き、我々の四肢が互いに協力するようにこれと協力する。あらゆるものの混合、また対照をなすものによって形成される全体の秩序。すべての存在は絶え間なく流れる河のようであって、その活動は間断なく変り、その形相因も千変万化する。我々のすぐ側には過去の無限と未来の深淵とが口を開けて居る。宇宙の自然は君に起ってくる事柄を通して、また君の内なる自然は君のなすべき行動を通して君を導く。「全体」の自然は自己の衝動によって宇宙の創造に向った。宇宙の自然はその任務として、ここのものをかしこに移して変化せしめ、またそこから取って他のところへ持って行く。万物は変化しつつある。神々と共に生きる者とは神々に対して常に自己の分に満足している魂を示し、ダイモーンの意のままに何でも行う者である。ダイモーンとはゼウス自身の一部であって、ゼウスが各人に主人として指導者として与えたものである。これは各人の叡智と理性にほかならない。より低いものをより高いもののために創り、より高いものを相互に協和せしめた。いかにすべてがこの叡智によって従属に或いは同格に整頓され、各々そのｿ値に従った分を受け、最も優れたものが互いに一致して生きるように創られている。君は今日まで神々に対してどんな態度をとってきたか。君が何を経験してきたか、何に耐えたかを思い起せ。また君の人生の物語はもはや完了し、君の奉仕は済んだのだということを。技術と知識のある魂とは、始と終を知る魂、すべての存在を浸透し一定の周期の下に「全体」を永遠に支配する理性を知る魂である。指導理性とは自ら覚醒し、方向を転じ、欲するがままに自己を形成し、あらゆる出来事をして自己の欲するがままの様相をとらしむることのできるものである。混乱、錯綜、分散か。それとも統一、秩序、摂理か。絶ゆることなき時の流れが永遠の年月を常に新たに保つがごとく、流転と変化が世界をたえず更新する。自分自身の精神を敬い尊ぶならば、それによって君は自己の意にかなう人間となり、人々と和合し神々と調和する者、すなわちすべて神々の配し定めるところに喜んで服する者となるであろう。我々各々の体や心の中にどれだけ多くのことが同じ瞬間に起るか、我々が宇宙と呼ぶ唯一にして普遍的であるものの中にそれよりもっと多くのこと、というよりはむしろすべての出来事が同時に共存する。正気に返って自己を取り戻せ。目を醒まして、君を悩ましていたものは夢であったのに気付き、夢の中のものを見ていたように現実のものを眺めよ。現在の時は悉く永遠の中の一点。万物はかしこから来る。すなわち宇宙の指導理性からあるいは直接これに動かされて来り、あるいは因果関係に従って来る。現存するものを見た者は、なべて永遠の昔から存在したものを見たのであり、また永遠に存在するであろうものを見たのである。なぜならば万物は同じ起源を持ち、同じ外観を呈しているのである。宇宙の中のありとあらゆるものの繋がりと相互関係について、ある意味であらゆるものは互いに組み合わされており、したがってあらゆるものは互いに友好関係を持っている。なぜならこれらのものは、膨張収縮の運動や共通の呼吸やすべての物質の単一性のゆえに互いに原因となり結果となるのである。君の分として与えられた環境に自己を調和せしめよ。君の中にあるものは君の叡智のままになる。宇宙の物は宇宙の叡智のままになるのである。すべて各々の個人に起ることは「全体」にとっても有益である。
