神にとっては一切が可能である。
これは永遠の真理で、したがって各瞬間に真理である。全力を全身全霊を傾け注ぎ込み傾注させ書き込み入れた印刷した。全部の字も、心の底からの魂の叫びであり率直な心情の吐露だ、美しい表現や共感できる部分を抜き出した、そうしてなって欲しいという表れだ。神秘主義は「神、最高実在、あるいは宇宙の究極根拠などとして考えられる絶対者をその絶対性のままに自己の内面で直接に体験しようとする立場、そしてその体験によって自己が真実の自己になろうとする立場」と定義づけられている。それは神を自己を超えた他者として表象し、神に帰依し、神の恩寵・救済にあずかろうとする立場とは本質的に異なっている。自己の内面に沈潜する者は、次第により内部にある自己を自覚し、自己の本源へと還って行く。内面への道は、究極的には自己からの離脱の道である。微小なものよりも更に微小であり、広大なものよりも更に大きい。世界全体を一つの点に集める。それは神が創造主とか愛とかいう在り方を絶した醇乎とした一として神自身としてあるところであり、人間の魂の最奥の深みである。人間の魂が次第にその我性を脱して神と一つであるその深みに達するとき、すなわち神自身が彼の魂の内奥に顕われてくるとき、彼はすべての存在の根底に達したのであり、万有を直接に全体として体験する。外的世界は我々にとってはただ感性的直感に与えられた多様であり混沌であるが、それは悟性から形式を与えられて初めて統一された対象として成立する。世界は我々の意識の中にあり、意識の中において一つの全体を形成している。この世に現存する人間は、自らの根底において自らを超えたもの、いかなる在り方をも絶した神の本質に結び付いている。人間の魂の最内奥に神、魂の中の光、閃光を見出したように、個体の本質アートマンは個体の内奥に顕われた最高実在ブラフマンである。個である枠であるという意識は必要か？常に何時いかなる時も、過去の16歳の自分で枠でもあると、己が全体であると意識している。中心核枠となり軌跡道程からも好きな好みの女や欲しい物も集め集まる。森君も素敵な御顔をしていらっしゃる。今の時点現段階で、領域が何処まで広がっているのか、合一まではあとどれだけか。無限性の絶望は有限性の欠乏に存する。詩人が実際に試みているように、絶望者自身をして語らしめることによって、絶望者の絶望している状態を直接に描くこともできる。絶望の形態を規定することはその反対を通じてのみ可能である。無限となったつもりの或いはただ無限であろうとするつもりのあらゆる人間的実存は、各瞬間に絶望である。自己は綜合であるからである。そこでは有限なるものは限定するものであり無限なるものは拡大するものである。無限性の絶望は空想的なるもの無限界的なるものである。我々の感情や衝動や関心を独立的な力であり威力であるとし、我々がこれら自身であると考えている。それらは我々の全ての表象を貫いており普遍である。その精神によって心の内奥にどんなに感動を受けることか。いかに確乎とした明確な首尾一貫して調和のとれた意味に満ちていることか。深い根源的な崇高な思想が立ち現れてくると共に、気高い神聖な厳粛さが全体に漂っている。ここでは、すべてが彼の空気を呼吸し、始原の自然と調和した生存を生きている。絶望とは自己自身に関係する関係としての自己における分裂関係である。綜合のうちに分裂関係の可能性が存する。絶望の現実的な各々の瞬間に絶望者は一切の過去的なるものを可能的に現在的なるものとして身に引受ける。絶望は精神の領域において起り人間の内なる永遠者に関係する。彼が何かについて絶望しているのは本当は自己自身について絶望しているのであり、そこで自己自身から脱け出そうと欲するのである。かくて支配慾のある者、この男の標語は「帝王か然らずんば無」である。彼はどこまでも自己自身、自分の真実の自己、を脱け出して彼が自分で見つけ出したところの自己であろうと欲する。自己をもつこと、自己であること、は人間に許されたる最大のこと（真実に無限なる許容）であり、同時に永遠が人間に対して要求するところのこと。一般に自己にとっては意識が決定的なものである。意識が増せば増す程それだけ自己が増し、意識が増せば増す程それだけ意志が増し、意志が増せば増す程それだけ自己が増す。自己は無限性と有限性との意識的な綜合であり、自己自身に関係するところの綜合である。自己の課題は自己自身となるにある、これは神への関係を通じてのみ実現せられる。自己を無限化することによって自己を無限に自己自身から解放すると同時に、自己を有限化することによって自己を無限に自己自身へと還帰せしめること。自己は、それが現存している各々の瞬間において生成の途上にある。可能的なるものとしての自己は何処までも現実化すべきものとしてある。字は散々入れたから、自分としては何もかも全部運命による字に任せるだけだ。領域が広がっていく運命なら、女を抱き捲って子供をつくるのは自然な流れだろう。房中術を究め極め尽したい。本音では彼女が欲しい、ただそれだけなんだよ。余計なことに徒労した、ただそれだけだったんだよ。今だ己の本体は中心核である、枠は抜け殻残骸である、中心核枠なら何でも出来る。なるべくしてそうなったんだ。力は中心核に集中しているけど、意識の領域は全体まで様々色々な所に拡散している。字で株も動かせ株で稼げるなら書き込み入れ印刷するのも仕事と言える。知識の立場における真理と実践上の真理との一致である。インドでは哲学と宗教が一体であって、根本実在であるブラフマンが心であるアートマンと同一であることを知ることが至福である。この世の一切となる。現象的存在としての自己からの脱却、最高実在ブラフマンへの帰入あるいは合一の体験を通して自覚される。ブラフマンは、力、意志、意欲、創造の推進力であると理解した。ブラフマンは、本来、現象界の多様性を全く離れているが、実在に重置する幻力によって多様性を持つかのように現れる。個体化の原理を離れて、現象の背後にある実在と一体化する。ブラフマンとの再結合、ブラフマンへの再帰入と表現する。「世界は表象である」この世界にあるものはすべて必然的に主観に条件づけられている。それらは主観によって、時間・空間内にあり、原因・動機によって生ずる充足理由律に従っている。すべての現象的存在は主観により構成され主観によってのみ存在する。現象の背後に実在を求める。主観的に構想された表象としての世界は、究極的には主観の根底をなす意志によって造り出されている。種々雑多な考え方の一つです。オート（自己）ポイエーシス（制作）、境界を自ら作り出すことにより、その都度自己を制作する。全体に依存すること、それは即ち神に依存すること、ただそれだけが限りない安心を生み出す。浄土真宗系やキリスト教系に似てるね・・ただただ絶対的なものに縋るというか・・俺の枠の場合は縋る頼る依存する相手がいずれ己が一つに合一して成るべき相手・・16才より駄目になってしまったこの状況を押し盛り返し打開するには・・森君だけが突出している！！
