私の魂が貴方に罪を犯したので、私の魂を癒やして下さい。
天地を創り、天地に満ちつつ、それを創造した神、貴方を失うものは貴方を見捨てる。貴方の法は真理であり真理は貴方なのである。すべてのものは変化し、ただ神にのみ真の休息は見出される。あらゆるものは過ぎ去り次に来ることによって、すべてが相集まって全体である宇宙を形成する。魂は愛するものの中に入って、その内に安らおうとする。すべての被造物は無常であり、ただ神のみが恒常である。地上にあるものは過ぎ去り、他のものがそれに続いて現れ、そのすべての部分によってこの下層の世界の全体が成立する。神のみことばのうちに御前の住家を定め、御前がみことばから受けたすべてをみことばに委ねよ、私の魂よ、おまえは本当に欺瞞に疲れ果てている。真理から与えられたすべてのものを真理に委ねよ。御前の内なる朽ち果てたものは、再び花を咲かせ、御前の病はすべて癒されるであろう。そして御前の脆いものは再び形を与えられ新たにされ、御前にしっかり結ばれて固められるであろう。それらがおりたところに御前と共に立ち永遠に立って、永遠に長らえる貴方のもとに長らえるであろう。それでは、何故御前は、神にそむいて、御前自身の肉に従うのか。寧ろ神に向き直って肉を自分に従わせなければならない。御前が肉によって感覚するものはすべて部分であって、これらの部分に御前は魅惑されている。御前の肉の感覚が全体を捉えることができたら、御前はもっと全体を愛することを好んで、現に存在するすべてのものが過ぎ去っていくことを願うであろう。音節があとから現れて全体を聞くことを望んでいる。もしすべてを感覚できるなら個々の部分よりも全体を喜ぶのである。万物を創造された方は、これらのものよりも遥かに優れている。魂が御前の気に入るなら神において魂を愛せよ。魂もそれ自身変化し神と結ばれて安定する。神においてのみ魂を愛せよ。彼は創造した。造られたものは彼から出て彼の内にある。真理は心の奥底にありながら心は神から迷い出た。道を踏み外したものたちよ、心に帰れ。そして汝らを造られたものに寄り縋れ。神と共に立て。神の内に安らえ。お前たちは、険しい道を通って何処へ行くのか。おまえらの愛する善は神から由来する。全体としてあるが故に美しい。美をその全体的側面（形相）と部分の全体への調和的側面（適合）の二点から考察する。私は傲慢に膨れてさまよいながら、様々な風に吹き回されていたが、甚だ密かに貴方に導かれていた。まことに、主よ、貴方は私の燈を灯され、私の闇を照らされる。私たちは、満ち溢れる貴方から受け取ったのである。貴方は、この世に来るすべての人を照らす真の光である。私は貴方のもとに迫ろうとしたのであるが、追い返されて、死を味わわねばならなかった。貴方は高ぶるものを斥けられるからである。しかし私が本性によって貴方と同じであることを主張することよりも甚だしい傲慢があろうか。私は変動するものであり、このことは私にも明らかであった。私が知恵を求めたのは、低く卑しいものから高く尊いものになろうとしたからである。しかも私は、私が貴方と同じ存在であると考えるくらいなら、寧ろ貴方が可変的であると考えようとしたからである。そういうわけで、私は追い払われ、貴方は私の高慢な首を抑え、私は物体の形相を想像して、肉である私の肉を非難した。私はさまよう風であって、貴方の真理によって私の空想によって物体からつくり出されたものの中へさまようた。神を賛美し神に告白することは魂に相応しいことである。私たちの魂はその疲労を脱して貴方に向かって立ち上り、それらのものをくしくも造られた貴方に近づこうとする。そこにこそ魂の蘇生と真の力が存在する。悔い改めた心で神に近づける。神の認識によってのみ人間は幸福になる。貴方を知る者が貴方に相応しく貴方の栄光をたたえ感謝する。万物が仕える貴方に寄り縋ることによって、全世界の富を所有し、万物を所有する信仰に生きる人、天空を測り星を数え元素の量をはかりながら万物を度量と数と重さとにおいて捉えられた貴方、見よ、神を敬うことが知恵である。主よ、私の神よ、私の良心の審判者よ、私が思い出すとおり、私の思いと思い出は貴方の御前にある。貴方はそのとき、貴方のかくれた摂理によって私を導き、自分の恥ずべき過誤を私の目の前に突き付け、嫌悪の念をもよおすようにされた。私の神よ、貴方が私を導かれたのである。人の歩みは主によって導かれ、主はその道を喜ばれる。貴方の創造した御手をもって新たに創り直される。
