聖者の位に達した修行者は超自然的な霊力を持ち､物質的な肉体から放射した霊的,気体状の身体･色心の為､彼の周囲一帯には幸せを生む力が放射する。幻想的な暗示が現実に展開するのを高度な心的状態の中で体験する。主観的確信は心の中に存在し、完全智に到達したこと、全課程を修了し自らが聖者となったこと、解脱に達したことを知る。涅槃への願いを育み成就する正しい瞑想,組織的鍛錬によって達せられる法悦の境地こそ仏教の本質的部分なのである。永遠の生成と離散、仏教の思想は漸次ブラーフマナの思弁から自らを解放しつつ大きな展開,急激な変化に逢着した。仏教の思想は深まり一段と精緻になった。渇愛とは激情や激しい欲求などである。法が永遠に存在する実在であり刹那的に作用し本性は経験界の外にある。法の一時的発現と超越性とを区別し、その結果、法は作用する時間(過去･現在･未来)にも､すべて潜在的実在性を持つ。未来の法も思惟の対象であるという見解が説一切有部に帰せられる。個々は自らが行なう業によって生じ、多種多様な大自然の出来事は偉大な業の法則の結果、原因は自己自身、全一感情に至る。何もかも全部中心核枠に集め集まる。無限の力で動け動かせる。全部の過去の様々な思い出が一気一度一挙一時に去来し押し寄せる･･心が破裂してパンクしそう・・やけに武張った像が突っ立っている。精神は散漫で心は飛び散っている、16才では凄まじい集中力だったけど今は其処から最も遠い。丹田の行く先は16才、枠の行く先は中心核、俺の行く先はそのもの・・いずれ先に成る為に一つに合一する為に、遡り抜かれ奪われ持ってかれ移動し広げ広がり続けている。根刮ぎ移動していく・・性欲も精神の心の根本的な力まで中心核に抜かれ奪われ持ってかれて行く・・創り造り作り出し上げる為に枠には何も残して余してくれない。本音は勿論死にたい、死ねば一気に殻も外れ一つに合一出来るかも・・出来るもんならな。子供のよう少年のように可愛いあどけない顔・・16才に遡って行ってるから若返ってる？体も成長期最盛全盛期絶頂点ピークだ。もっと性欲も盛って背高く筋肉でよろえる。過去の全部の出来事を同時に再体験する。当時以上に超現実的に。過去の全部の自分も今の自分である。精神侵食汚染障害、心がズタズタに切り裂かれている。本体本性が枠の外の中心核にあるからだ。今日我々の目に触れるのは歴史的変遷の結果だ。仏教哲学は四種の命題で総括できる。一切は一刹那にのみ現に存在する。一切は無常(=苦)である。一切は自相(単一,個,独一)である。一切は空である。人間仏陀は今や永遠の存在たる仏陀の一時的顕現となる。それは現象の背後にある永遠の仏陀の一映像,一現象形態である。永遠の仏陀は人間の計らいを超えた不可思議力幻力によって自らをこの世に投射できる。人間を超えた威光に充ち溢れたものとして至高神が所有する名号と特徴とを併せ持つ。現象のあらゆる基底の総和、存在のあらゆる理法の総和、しかもそれらの最終原理なるもの、今や最高の究極的原理、一切に遍満する純粋に霊的な力、事物の超時間的非人格的絶対的基礎・・梵の観念を想い起こせ！概念の個々の特異相一切の集約、一切の実在、仏陀と法は同一であると教えた。仏陀は謂わば神として現れる。龍樹諸法を空とする立場に照らして涅槃即世間法輪廻の結論に到達する。龍樹は、無常にして移り行く現象界と全き静寂の世界(=涅槃)とを峻別する仏教の傾向を完全に克服し、二重真理説の創始者となった。霊我および根本物質より更に一段と高く最高且つ純粋で一切の原理を超えて聳え立つ。解脱する。個人格の核心を現象的なものから解放する。梵あるいは最高神最高霊に個人格の核心が帰入すること、霊我のみの絶対的状態、喜び悲しみなどの対立を超えた状態に到達すること、解脱に関して天上界での報いが予め語られたりする。一切を保持する彼は神々の本源かつ起源であり万有の主宰者、何滅なるものの統御者、根本物質と霊我の主、常恒なるものの常恒、知性あるものの知性、多くのものの願望を満たしめる独一者、彼は一切を為し一切を知る。主宰神こそ自生のものであり輪廻への滞流と解脱の原因である。全能なる神、あらゆる点で古来の神々を遥か高く超え、神々の筆頭、絶対最高の神の地位に昇った。彼は万物の中に存し万物は彼の中に存する。彼は万物の内なる精髄本源である。一切万物の種子である。この世にありとあらゆるものの内に存しつつ自らの力で一切を保持する。世界を包摂し同時に世界に遍満しつつ万物の中に存する。一切万物の本源保持者主であり終局、不死にして死、存在にして非存在である。高度に普遍的で無限定の存在、超越的内在的原理、終末論的絶対者、宇宙の大本源支柱基盤物質的基礎、最高神は様々な顕現として開展転現として現れる。自己の創造力によって彼自身から現象界の一切を創出する。自己を現象界の状態たらしめようとする意志活動により、自己の超越的不活動的本性を限定して、彼自身から宇宙が生じるよう自己の本性を専ら活動の因果の原理たるプラクリティとして変じようとする意志活動によって創出する。自己の幻力で現象として顕現させ一切万物を舞台の上の操り人形のように回転させる。人間界に出現している。最高神が人間に霊眼を与え、最高神の顕現の中に神本来の姿を顕示する。自分自身で実践を通じて解脱への道を歩む。特異な能力を展開させ欲望に基づく悪への性向を克服し、一段と高い意識段階に到達し、個人格の完全な改造を体験するに至る。世界が永遠か否か無限か有限か、解脱後も個人として存在するかどうか。我等まさに為したることの果を享く。この世は苦悩である。故に､それを離れよ。有限な一切のものを離れよ。解脱法の目標は涅槃である。涅槃は世界の基盤よりは解脱の目標として、その限りでは絶対境である。最初の時期には、独一の存在への到達ということを一段と強調し、純粋な命我の本性を完全に実現し、命我の完全な独存を達成する。仏陀の涅槃は一つの過程、即ち生死転生の過程が終了すること、火が燃え尽きる時、一つの過程は終熄する。一切の情動の終熄、完全な解放であり、形而上学的には永遠無限無始である。涅槃は体験すべきものであり生存中に必ずや体験できる。必要だから神の命令だからそれ自身目的だから。貪欲・憎悪・傲慢・疑惑・怠惰・自己欺瞞などの煩悩(憂い・悩み)は、無知無明・・四つの聖なる真理、人間・輪廻・解脱の無知迷妄に基づいている。再生の可能性を内に秘める潜在意識を日常の意識状態にまで引き出して制御する事に全力を傾ける。あらゆる存在の成因は、たとえ一つ一つが孤立していようとも業の作用によって結合し束あるいは流れとなって､同じく諸方から構築された存在に固着する。その総和が業の残余分を､次いで存在の将来の運命を決定する。唯これのみが実在とされる諸法は､精神的というより自然的物質的である。諸法は結合して変遷し続ける経験界の諸現象を作り出す。再生の過程、因果の連鎖、条件による生起の理論、十二因縁説、再生を惹き起こす業、業による生成、取著、一つの過程が展開し続ける為の基盤、行為を企て欲望に合った対象へと向う働き,執着に縁って生じる。その欲望のあるがままに､従って意向を起こす｡意向のあるがままに､それに従って行為を為す｡
