脳も身体も甦らせ蘇らせ甦る蘇る。
16歳の軌跡道程の全時期全枠の脳も身体も今枠、16歳も軌跡道程も今に存在している、16歳に軌跡道程に繋がり結び付いているから16歳にも軌跡道程にもなれる、そして中心核にも全体全面にも成れる。仏陀の至高体験は言葉では語り得ない、１６歳宇宙最高の体験もそれ以上だ。俺はそのもの全体全面、そのもの全体全面は俺、今枠は中心核、中心核は今枠、16歳は丹田、丹田は16歳、生まれ産まれてから16歳から今までの何もかも全部《今同一時に》居る有る存在している。仏陀にとっては、あらゆる衆生こそがその国土、そこに仏陀は耕し穢土転ぜしめようとする。心が浄らかなるによって土もまた浄し。そこには根底的に空の思想が流れていて空なる故に穢もまた浄に転換しうる。このつくられた世界は無常なるかな。清浄な眼をもつ者となった。執着からの解放、煩悩の流出（有漏）から心が解脱することを得た。広大な仏国土、すべての存在は（心によって）つくられ妄想された性質のものであることを知って正しく完成した無上の悟りに向かって発心した。阿羅漢であり完全な知の持ち主である如来、法は衆生の汚れを欲望の汚れを生まれ死ぬことを離れ自我より個我よりも時間的に前後の極限なく、寂静によって性格づけられ、あらゆる文字も言葉の絶えたもの、あらゆる思考の波と離れ語りえないもの、あらゆるものに遍満し虚空のよう、色彩も共通の性質も形態もあらゆる動きと離れている。表象することも心意とか識知とかを離れ、匹敵し相対する較べるべきもの対応する原因も縁もない。法界の中に集約されるから、あらゆる法は等しく置かれる。それは真如の後に従うもの、絶対に不動で真実の極限にまで到達する。（法は）空性の中に集約され無相をもって露わにされ無願の性質のあるもの、眼や耳や鼻や舌や身体や心の及ぶ範囲を超えている。
