自らを革新し時代の鍵を開く。我何時の日か汝とあいまみえん。
枠の軌跡道程にも歴史にも残し余してきた力があるから、全部の時期あらゆる頃あらゆる時の枠が一つに合わせ合わされば、それらの力も全部使い切れ尽せ果たせる筈だ。汝が見るすべての者、神的なものと人間的なものを具備するすべての者、それらはすべて一体である。一つの巨体の手や足のようなものである。全世界の生命の根源と合一する。私の真の内面的存在は自意識の中で直接啓示されるのと同様に生きとし生けるものの中に内在している。すべて生あるもの、そは汝なり。我々はみな畢竟同一の存在者である。精神は時として極めて完全に近い状態にあり時として極めて堕落した状態にある。善き時を大事に保存し悪しき時を排除するようにするがよい。そうすれば君はますます善き時を送ることが頻繁になり悪しき時を送ることが稀になるであろう。叡智は無限である。叡智に向かって進めば進むほど、ますます必要になってくる。無限の向上が可能である。愛は合一へと誘う。詩人はあらゆる感覚の長期にわたる大がかりな理由のある錯乱をつうじてヴォワイヤン見る人となる。夢と現実の交錯する幻想交響曲、自ら意識的な感覚の錯乱により見る人となり幻視的な世界を発見し、そこに生活し、言葉の能力を最高度に発揮して表現した。十六歳のとき霊感を受けて、色と香、視覚と音、物質的なものと抽象したものの錯乱した混淆を示している。世界に突如としてあらわれ突如として見事な光芒を描きながら去って行った彗星、Ａは黒、Ｅは白、Ｉは赤、Ｕは緑、Ｏは青、読む者を錯乱に巻き込む。肉体は悲し、ああ、われはすべての書を読みぬ。超脱して独自の世界を形成している。まさに我が意を得たり。ただ精神と肉体の鍛錬に励め。自分と万物の本源であり無限者である神との関係を思い起こす。自分の全ての行為の総点検、自分の暗い過去を反省する。君が娑婆の喧騒の只中にあって昂奮したり熱狂したり苛立ったりしているときに祈るのは何よりも大事なことである。自分の霊を思い神を思うこと。自分の五官を迷わす一切のものから離れて、自分の中に神的本源を呼び覚ます。一人で祈る。祈りとは、自分の中に自分の霊の神的分子を呼び覚まし、その中に没入し、それを通じて、それがその一部分であるところの全者、すなわち神との交流に入り、自分を神の僕として意識して、霊の神的分子の要求に従って、己の霊や行動や願望を検証することなのである。霊の救済であり強化であり向上である。それは懺悔であり過去の行為の検証であり今後の行動への指針である。成長し変化する、それゆえ彼の神に対する関係も変化し、はっきりしてくる。だから祈りも変化する。すべて悩み苦しみ、重荷を負える者よ、我に来たれ。我汝らを力づけん。身の丈心の丈を尽して祈った。芸術は人々を合一せしめる手段の一つである。心にあるものを鼓吹するための最も強力な手段である。完全性は神の本性であり、完全性を願うは人間の本性である。人生とは戦いであり進軍である。それは善と悪との正と邪との自由と弾圧との愛と我欲との闘いである。人生とは、我々の知と情とに黎明の光を投げかける理念の実現へ向かっての精進である。理念は我々の内にあるし理念達成を妨げる種々の要因も我々の内にある。我々の現状は、それによって我々がその理念を達成すべき材料にほかならない。完全性というのは、それの実現が理念として考えられるときのみ、無限の未来において実現されると考えられるときのみ、それゆえにまた、その実現に向かっての接近が無限に可能であるときにのみ、真にその名に値するのである。自分の意思を神の意思と合流させればさせるほど行為は堅実なものとなる。神の意思を自分の意思のごとく遂行せよ。そうすれば神は汝の意思を己の意思のごとく遂行するであろう。常に神の意思に従って行動し、すべてにおいて神に従順である人の内部には、いかばかりの力が秘められていることであろう！神に対する愛は自分自身に対する愛、つまりは愛に対する愛である。この愛こそ至上の幸福である。汝心を尽し魂を尽し意を尽して主なる汝の神を愛すべし。永遠にして無窮のものに対する愛のみが、我々の心に純粋な喜びを与える。そうした幸福を目指してこそ、我々は全力を振り絞って精進する。至高の幸福は完全に神の認識の中に含まれ、至高の完全性を具備する存在、神を愛すれば愛するほど、その愛に身を委ねれば委ねるほど完全性に近付き、至高の幸福にあずかることができる。我々の至高の幸福と幸福の基礎は、専ら神の認識と神への愛の中に存する。物思いに沈み長いあいだ黙って坐っていた。雨はやみ空は晴れたが相変わらず風は咆え海は荒れ狂っていた。『交感』長く尾をひくこだまが遠くのほうで混り合ってしまうように、涯しなく広い統一の中で、香りと色と音とが互いに応え合っている。少年の肌のようにみずみずしく、木笛の音のように和やかに、草原のように緑色の香り。具体的に触覚と聴覚と視覚が嗅覚と応え合っている。詩人は自ら感覚世界の一部になりきっている。これほどまでに強烈なセックスアピールを異性を感じる男性に初めて出会いました。
