色んな角度から多面的に見て様々な解釈の出来る事柄ほど複雑で奥が深い。
解体と再生に関して第一に注意すべきことは、死から生じる生命それ自体が個体としての生命にすぎず、この転変のなかで類的なものこそが本体だと見なされるという場合、個体の死滅は、類がもう一度個へと転落していくことだという事実です。だとすると類の保存は同一の存在様式が同じ形で繰り返されるという形をとるほかはない。一方、存在を思考によって捉える認識は、新しい形態の源泉であり誕生の地であって、しかもこの新しい形態は、そこに保存の原理と明確化の原理が働いて以前より高度の形態として現れる。思考とは自己同一を保ち続ける普遍的な類だからです。精神の特定の形態は、時間のなかで自然に過ぎ去っていくだけでなく、自己意識の自発的自覚的な活動のなかで破棄されてもいく。この破棄は思考の活動であるのだから、そこでは同時に保存と明確化が行われます。精神は一方で自分の身に纏う実在の姿を破棄すると共に自分の嘗ての姿の普遍的本質を思想として獲得する。生産の原理は、過去の精神の姿の本質を保存するものです。精神の歩みとは、自分を対象化し自分の在り方を思考する精神が、一方で、自分の限定された在り方を破壊するとともに、他方で、精神の一般理念を捉え、その原理に新たな定義を与える、というところに到達します。ここに至って、民族精神の実体的内容が変化し、その原理は、別の、より高度な原理へと上昇していきます。歴史を概念的に捉えるにあたっては、こうした精神の歩みを思考と認識の内に保持することが最も重要です。精神はその本質からして自分の活動の結実であり、精神の活動とは、ありのままの自分をこえ、自分を否定し、自分にかえってくるものです。前進の行く手にある究極目的である。必然の連鎖をなす様々な民族精神の原理は、その一つ一つが普遍的な世界精神の各段階をなすものであって、歴史上の様々な精神のなかを貫流しつつ自らを自覚的な総体へと高め全体を完成するのは、この普遍的な世界精神です。私たちにとって精神の理念こそが重要であり、世界史上の一切が専ら精神のあらわれと見なされるべきだとすれば、過去の事実を辿るに際しても、その過去がどんなに偉大であろうと、私たちは現在に関わるものだけを問題としなければならない。真理の探究を志す哲学は永遠の現在にかかわるものだからです。理念は目の前にあり精神は不死であって、その本質からして今あるものだからです。精神の現在の形態が以前の全段階を内に含む。過去の段階は、確かに、それぞれが独立の段階として順を追って形成されてきてはいるが、精神の在り方という点からすれば、精神自体は不変のままであり、段階の違いは精神自体の発展の違いを示すだけ。現在ある精神の生命は、一方では並列され他方では過去へと遡る様々な段階の循環として示される。精神が背後に残してきたかに見える様々な要素は、精神の現在の深みを形成するものであります。恐ろしく強い力を持っていながら何て謙虚で優しいんだ。
どんな状況であれ自分としては全力全身全霊を尽くすだけだ。世界史という現実の中では、精神の理念が現実に存在する民族精神という形で一つ一つ目の前に現れてくる。精神の存在は時間の内にも空間の内にもあらわれ、空間の内にあらわれたものが自然の存在ですが、世界史に登場する個々の民族の特殊な原理のうちには、同時に自然的な要素も含まれます。自然の衣を纏って現れる精神は、それぞれが特殊な形態をとって共存します。あちこちにばらばらに存在するのが自然というものの在り方ですから。意識は、目覚めの始めには自然の中に埋もれていて、その発展の一歩一歩は直接の自然を抜け出して内面的に反省していく過程です。自然から分離していくこの過程は、自然の要素に左右されるもので、自然は、人間が内部で自由を獲得していくための出発点をなします。必要な欲求が満たされたとき、人は一般的で高度なものに目を向ける。私は次のことを知っていた・・学校で習う語学は昔の本の理解に必要であるということ、寓話の面白さは精神を目覚めさせるということ、史上の銘記すべき事績は精神を向上させ、分別をもってこれを読めば批判力を養成するのに役立つということ、すべて良書を読むということは、その著者である過去の優れた人達と会談するようなもので、このような読書は実に彼らの思想の粋ばかりを我々に開いて見せてくれる前もってよく準備された会話のようなものであるということ、雄弁は力と美とを持っているということ、詩歌は人をうっとりとさせるような雅致と情味とを持っているということ、数学はきわめて精巧な創意を持ち、好奇心の盛んな人達を満足させる点でも、またあらゆる技術を易しくし簡単にする点でも多いに役立つものだということ、習俗を取り扱った書物は多くの教訓と非常に有益な勧善思想を含んでいるということ、神学は天国に至る道を教えてくれるということ、哲学はあらゆる事柄についていかにも尤もらしく語ること、法学や医学やその他の科学は、それらを勉強するものに名誉と富を齎すということ、そして最後に、その正しい価値を認識するために、これらのすべてのものを、最も迷信的な誤ったものさえ考究したのは良いことだということ・・これらのことを私は知っていた。我々を天国に導く啓示された真理は、我々の理解力を越えたものである。それらの真理を検討することを企て、それに成功するためには、天の何か特別な加護を受け人間以上のものであることが必要である。自分の中に或いは世間という大きな書物の中に発見される学問を求め、青春の残りを旅行し色々の経験を積み、運命が自分に与える機会を捉えて自分を試練し、至る所で自分の前に現れて来る様々の事柄について反省を加えて、そこから何らかの利益を引き出すことに用いたのであった。自分自身を研究し自分のとるべき道を選ぶために自分の精神の全力を傾けようと決心した。どんなに確実な知識よりも習慣や実例の方がより良く我々を説得する。真理を発見するために自分で自分自身を導いていく。全般にわたって完全な列挙と広範な再検討をする。人間の認識に到達できるすべての事柄は互いに繋がっている。後で自分の推理の材料にするために沢山の経験を積んで、私が自分に規定した方法において段々自分を強化してゆくように、その方法を絶えず練習することにより、目的に向かって自分を準備する為に多くの時間を費やした。自分に可能なありとあらゆる知識を獲得できると確信し、同一の手段によって自己の力の範囲内にある真の財宝をすべて獲得できると確信してこの道をとった。古い住居を取り壊した場合、普通その取り壊した材料を新しい家を建てるのに利用するため取り除けておくように、自分の意見の中で、すべてのものを破壊してしまう場合にも色々の観察をし沢山の経験を得た。それらを後になってもっと確かなものを建設するのに役立てた。失敗は成功の母である。
