史上すべての神秘体験が来る。
個人単体としての全身全能力も最大極限まで限界も突き抜け超越し高まる。広げ広がった領域から個人単体に。個人単体としての今枠脳心身体こそ何もかも完全部超越した唯一無二の光り輝く絶対圧倒超人的存在である。全ての過去を我が身に背負っているなら、骨髄も女子供も宇宙への字も薬も何もかも完全部やり直せる筈だ。過去の全体、軌跡道程全体、人生全体、世界全体、宇宙全体まで拡げ拡がり、我が身に包み取り込み入れ全時期全能力も何もかも完全部分我が身に在り！！16才全歳全年齢今枠脳心身体、史上最も優れた個人単体、16歳から軌跡道程から中心核としての脳心身体、人生軌跡道程全時期全枠全脳全心全身体、若き日の最も優れた個人単体に、16才宇宙最高から軌跡道程の多少マシだった自己自分自身に今！！16歳から軌跡道程から中心核たる我が身から、そのもの全体全面まで俺へ広げ広がり拡散拡大拡張拡充し完全合同一本体化！！我が身こそ始点、我が身こそ始原、我が身こそ根本太源、我が身こそ支点、我が身こそ中心核である。これをもって宇宙最高に復帰、再び無限の力が生まれ湧き上がる。これから奇跡が起って骨髄移植連絡来て理想の対象相手が現れることを祈る。
魂の内における神の子の誕生、神生の無への突破、その徹底の要にあるのが「離脱」という根本思想、自分自身と一切から脱却すべきことを説く。離脱において無になって神を受容し（無になった魂に神が神の子を生み込む）、離脱の徹底として受容した神を捨てることによって無に徹する。（人間に向いた神を突破して神自身の内奥、神性の無に徹すること）、神の子であるという在り方を捨てて無において「我在り」の自由が開かれる。神の子（子なる神）として神の生命によって生かされて生きるところから、神自体における神、即ち「無」なる神が現前する。このように「神の子の誕生」を「神性の無への突破」へとせり上げてゆく離脱、人と神とを最も密接に結び付ける徳、創造以前における原像との再合致に至る徳、離脱は純粋な無に立ち自己自身と一切のものから同時に脱却している。神との最も密接な合一は神を神のまま受容することによって成立するが、完全な受容性は「無」、無のうちにこそ最大の受容性がある。自己浄化から自己無化に至る禁欲道が神秘的合一の準備になることは神秘主義に共通の経験知であるが、エックハルトの場合、「無」化の徹底性とその故の合一の緊密性は際立っている。受容性としての全き純粋な無においては純粋な存在である神のみが留まり得る。離脱は神を強いて私に来らしめる。自由なる精神が真の離脱においてあるならば、その精神は神を強いて自分の存在に来らしめる。離脱は意志の徹底的放棄、魂の無と神の存在との一体性の現成における必然性の表現、離脱した魂の無に神は神の全体を注ぎ込まずには「いられない」。離脱の無は神の本質を本質のまま露に受容する。このようにして魂は神と同一形になり非被造性へと合一する。離脱は合一をも貫いて離脱のまま、エックハルトにおける離脱の高次性が現れてくる。離脱そのものが究極であるような方向、神が神であるのは不動の離脱による。神はその純粋性と単一性と不変性を離脱から得ている。不動の離脱が人を神との極大の相等性へと齎す。像から離れ無相無形の純一性との一を魂に示す。「神を去る」「神を放下する」「神を空却する」、自己放下の徹底における自由の極致を示す。到達された合一の完全性の上で究極的解釈を得る。人間に対向し人間から表象可能な、またそれを手掛かりにして人間の我性が膨らみ得るような神を突破して、神と合一した自己をも大きく捨てて「神性の無」に徹底する。神についての一切の像から離れ無相無形に徹するというところまで合意した離脱、受動的無から能動的無が、神への受容性としての無から神自身の離脱の無と一である無、自己自身からの脱却の徹底的遂行、（離脱という）完全性に人を運んで行く最も速い駿馬それは苦悩である。苦悩の中での愛と謙虚を通して実地の完き離脱に至り得るよう「最高の離脱である神よ我々を授け給え。アーメン」論述「離脱」祈りをもって閉じられる。突破において私は、私自身の意志、神の意志および神のあらゆる働き、神自身、その一切から脱却する。私は私があったところ今それであるところの、これからもそれであるであろうところのもので現にある。突破において「私と神は一である」が成就する。「一の一」「一の一なる一」の現成、ここに脱却して自由の究極が見られる。私は魂の内なる一つの力（一精気）について語った。その力が原初的に発現するとき根底に突き進み究め進み神をその一性において沙漠において把える。その力は神を荒野において神固有の根底において把える。魂の在処は、神が御子の内に流出し給う処を遥かに超えて高い。魂は一切の光とあらゆる認識とを抜け出ている。魂の火花は神的存在が何処から来るかを更に進んで光は知ろうと欲する。単純なる根底の中へ、父も子も聖霊も三神格ペルソナも如何なる差別も超えた静寂なる沙漠の中へ突き進もうと欲する。最内奥の内で初めてこの光は満足する。其処においてこの光は自身の内にあるよりもより一層深く内的である。この根底は一つの単純なる静寂それ自身において不動である静寂だからである。この不動性によってあらゆる事物が動かされ、そして、それ自身において知性的に生きるあらゆる生命が受容される。魂が一なるものの内に来って自分自身を純粋に放却したならば其処で魂は無の内に神を見出す。無の内で神が生まれた。神は無の果実であった。神は無の内で生まれたのであった。人を放下（捨離）し得る最高にして究極的なことは、神を神の為に放下すること、神から得た一切、神が彼に与えた一切、彼が神から受けた一切を放下した。彼に残され留まったものは、正にそれ自身において自体的に自存する神、あるものは一つの一即ち一なる一、一つの純なる一化、ここに至って人は一箇の真なる人間、一真人である。「突破」の思想において何処までも我性を捨ててゆくという否定性、何処までも自己の根底を究め尽くしつつ根底から真の自己として立ち上がってくるという積極性との、この両面の相即に成り立つエックハルトの思想の頂点が示されている。人間が放下し得る最高最究極は神を神の為に放下すること、神が魂に与え得た一切を放棄する、魂が神から受納し得た一切を放棄する、魂が神を放下するとき、魂の有は「神がその自体において有る有」と一つである。神の自体と一つである。一の一、一の純なる一化、純なる一の現成で「汝の自己から離れ、神の自己に溶け込め。さすれば、汝の自己と神の自己が完全に一つの自己となる。神と共にある汝は、神がまだ存在しない存在となり、名前無き無なることを理解するであろう」 物凄い喪失感　100％の枠　世界最強の男　世界で最も美しい男　世界最優秀の男　枠の一部　枠の一点　歯が折れた　鎖骨が折れた　三木聡子を抱きまくった　好きな女を抱きまくった　気の巨人ですな　好きな女を抱きまくって子供を作る　喪失感から１００％に近づいていく　枠が好きな女を抱きまくる　枠の性欲は凄いぞ　この男の性欲は凄いぞ　大した男だ　背の高い若い男　端正な容貌をした長身の青年　何処か異様な男
