自然は、既に古代の哲学者たちが正しく認識していたように、魂あるいは魂に似た存在に充ちている。魂の数は砂粒や原子よりも多い。それぞれの単子は、一つの独立の世界であり自足的な単一物である。物質は現象である。人間の魂、中心的な最高の単子、実現態、等々。各々の物体は宇宙に起こるすべてのものによって影響される。単子は全宇宙を表象する。単子は、複合的な衝動、すなわち多くの表象を自己のうちに持っていて、これらの表象はそれぞれ特殊な変化を志向しており、他のすべての事物との本質的な関係のために、同時に単子のうちに存在している。個体性は自己の内に無限なものを言わば種子として含んでいる。自然においてはすべてが類比的である。魂と肉体との一致は神による予定調和である。実態、変化等々の観念は我々のうちにある。理性によって最善のものへ決定されることが、最も高い程度の自由である。統一的なものを二つに分け、その矛盾した二つの部分を認識する。数学ではプラスとマイナス微分と積分。力学では作用と反作用。物理学では陽電気と陰電気。化学では諸原子の化合と分解。社会科学では階級闘争。対立物の同一性、対立物の統一、自然（精神および社会をも含めて）のすべての現象と過程のうちに、矛盾した互いに排除し合う対立した傾向を承認する発見する。世界のすべての過程を、その自己運動において、その自発的な発展において、その生き生きとした生命において認識する条件は、それらを対立物の統一として認識することである。発展は対立物の闘争である。進化発展についての二つの基本的な考え方は、増減、繰返しとしての発展と対立物の統一としての発展（統一的なものが互いに排除し合う対立物へ分裂すること、および両者の相互関係）である。自己運動、その推進力、その源泉、その原動力、外部へ移されてしまう、神、主観、等々。自己運動の源泉の認識、生動的、すべての存在の自己運動を理解する鍵を与える。それだけが飛躍、漸次性の中断、対立物への転化、古いものの消滅と新しいものの発生を理解する鍵を与える。対立物の統一（一致、同一性、均衡）は条件的、一時的、経過的、相対的である。対立物の闘争、発展、運動は絶対的である。個別的なものが一般的なものへ、偶然的なものが必然的なものへ転化すること、つまり対立しあっているものが移行しあい転換しあい繋がり合っていることを示す。現実のあらゆる取り扱い方、近づき方の無数の色合い（哲学体系は、その一つ一つの色合いから一つの全体的なものへと成長するのであるが）をもつ生き生きとした多面的な（しかも側面の数はたえず増していく）認識としての弁証法・・ここに形而上学的な唯物論と比べて計り知れぬほど豊かな内容がある。人間の認識は、円の系列すなわち螺旋へ限りなく接近していく曲線である。この曲線のどの断片、破片、小片も、独立の完全な直線に一面的に転化する。16才も軌跡道程も枠となれば、今から遅らせばれながら一念発起して猛勉強して東大に一番で通って・・なーんちゃって。枠から天に昇る昇天する。人間は自分で自分の歴史を直接に有り合せる与えられた過去から受け継いだ状況のもとでつくる。依存感が宗教の根拠である。思弁哲学者は事物を彼らの概念に適合させる。自然とは、人間が自分から区別するすべての力、事物及び存在の総体である。この言葉を実践的に理解すれば、自然とは、有神論的信仰の超自然的な暗示を別とすれば、人間に直接的に感性的に人間の生活の根拠及び対象として示されるものである。自然とは電気であり磁気であり空気であり火であり土であり動物であり植物であり、また、不随意無意識に活動する存在であるかぎりでの人間である。自然とは存在であり様々な存在と事物の総体であって、それらの現象や発現や作用のうちでこそそれらの現在や本質が顕になりかつ存立している。それらの根拠は天文学的あるいは宇宙的な力学的な科学的な物理学的な生理学的あるいは有機的な力あるいは原因のうちにある。人間は、主観的な要求から、具体的なものを抽象的なものに、直感を概念に、多を一に、原因の無限の総和を唯一の原因に置き換える。自然のうちにあるすべてのものは交互作用をし、すべては相対的で、すべては結果でもあれば原因でもあり、すべては全面的であり相互的である。神は原因一般であり人格化され独立化された存在としての原因の概念である。神とは抽象的な自然である。何が何でも何でもあの追浜古本屋店員を救う抱く。
